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Channel: 情熱社長~情熱的なベンチャー企業社長のメッセージ~ »商社
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株式会社シーマ 代表取締役 白石 幸栄

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代表取締役 白石 幸栄

株式会社シーマ 代表取締役 白石 幸栄

代表取締役 白石 幸栄

株式会社シーマ
設立 1994年9月
事業内容
  • ブライダルジュエリー事業
  • ファッションジュエリー事業
  • ギフト事業
  • ティアラレンタル事業
  • ウエディングライフサポート事業
会社HP http://www.cima-ir.jp/index.html

ブライダルジュエリーを通して社会全体を幸せにしたい

株式会社シーマは、ブライダルジュエリーやブライダルギフトの販売、
ティアラのレンタルなどを行う、メーカー・商社・小売を兼ねた総合ブライダル企業です。

扱っているブライダルジュエリーという商品は、通常のジュエリーのように、
自分へのご褒美や誕生日のプレゼントといったものとは購入される動機が異なります。
結婚したいと考えているお客様にとっては、単なる物質としてのダイヤモンドや
プラチナではなく、愛情や絆を具現化したかえがえのないものなのです。

だからこそ、我々の目指しているのは、お客様に愛や絆を提供することによって、
幸せな家庭が増え、それが子どもたちに遺伝して、社会全体が幸せになることなのです。

私たちの接客によってご購入いただいたすべての方に多くの幸せがもたらされるのであれば、
それが弊社のブランド力だと思っています。

「愛する人に贈るものだから、あの店で買いたい」と言われるような店舗を作り、
そして、それを世界で実現させることが目標です。

物を売るだけではなく、愛や絆を提供する仕事

第二次世界大戦が終わった直後に、日本で最も売れたものは何だと思いますか?
食料や衣料品ではありません。

家財道具も婚約指輪も国に没収されていたのですが、財政難にあえぐ政府がそれらを
買い戻すよう国民に促したところ、女性たちが整理券を持って並び、手に入れたものが
ブライダルジュエリーだったそうです。

戦時中は、若い男性の多くが戦地に行き、その9割は帰らぬ人となりました。
ですから、残された女性たちは亡くなった夫の形見として、結婚指輪や婚約指輪を
取り戻したいという思いがあったのでしょう。
食べるものも着るものもなく、明日死ぬかもしれないというのに、彼女たちは愛を選んだのです。

私たちは、ブライダルジュエリーの販売を通して、そういった愛を提供したいのです。

ちなみに、その裏側には、「男性の愛情表現を5倍にする」という個人的な目標もあります。
男性も、愛する人にはきちんと「愛している」と言葉で伝えるべきだと思います。
そういう覚悟を持った男性が増えれば、もっと愛情深い夫婦が増えるのではないでしょうか。

年商100億は、お客様から感謝していただいたことの積み重ね

弊社が100億円企業になるまでの過程には、日本初のことにもたくさん取り組みました。
セミオーダーシステムや、セットリングの考案、それまで日本になかった「エクセレント」
という美しいカットのダイヤモンドの販売など、様々な成功体験を積み重ねてきました。

これが1千億、1兆規模になるためには、もっと人の心を動かすような仕事をしなければなりません。
単純に数字だけで考えると、100億売り上げる企業を10ヵ国に設立すればいいわけですが、
我々の本質はそういったことではなく、「何をお客様へ提供し、何に対してお客様が
ご満足いただけたのか」ということにあります。
大切な人に最高のジュエリーを送ることができ、そこに生まれた幸せや喜びによって、
お客様から「ありがとう」と言っていただける。
そういったことを大切にしています。

本当は扱う商品は、ジュエリーでなくてもなんでもよいのです。
ただしそれは、「肌身離さず持つような大切なもの」「絶対捨てたくないと思うようなもの」であること。
我々は、それを最高品質で提供し、世界のトップブランドを作るという夢を持って取り組んでいます。

我々の提供する商品は、絶対にごみ箱には捨てられないものです。
それは、愛する人との思いが詰まっているからです。
今まで、そういったかけがえのないものを扱ってきて本当に良かったと思いますし、
これからもそうでありたいと思っています。
お客様にとって「一生に一回の大事なもの」だからこそ、
常に真摯な姿勢で向き合うことを心がけています。

求める人物像は「スポンジのような人」、そして「愛や絆を大事にする人」

社長は決して主役ではなく、「社員全員が会社の主役」だと思っています。
10年以内には私は社長を辞任し、国内事業は後任に任せたいと考えています。
そして、世界各国にシーマを作り、それらも任せていきたいです。

後任は、新卒から入った生え抜きの社員にしたいと考えています。
そのために、今、新卒採用を非常に大切にしています。

私が採用したいのは、どこまでも吸収する、スポンジのような人。
素直で謙虚、どんなに成功体験を積んでも天狗にならず、
いろいろな視点を持てる人がいいですね。

そして何よりも、愛や絆を大事だと思ってくれる人。
愛する人に「愛してる」と言うことや、好きな人に贈り物をすることを大切だと思える人。

そういう人に、会社の未来を託したいと思っています。

やりたい仕事をして、なりたい自分になれ!

会社説明会では、私からは仕事の話は一切しません。

「行きたい会社に行って、やりたい仕事をして、なりたい自分になれ。
いつか、自分たちの世代が世の中を動かす時代が来るのだから、絶対にいい社会にしてほしい。
早く、今の私の立っているフィールドに来てほしい。
君たちの元気が国の活力といってもいいくらい、日本の未来は君たちの意欲にかかっている」

そんなことをよく語っています。

みなさんに伝えたいのは、仕事内容ではなく、
お客様や仲間への思いなど仕事をする根本となる理念です。
その理念があれば、いい仲間にも巡り合えるし、スキルや経験が足りなくても、
後からいくらでも補えます。

そして、自分が何のために仕事をするのかという動機があれば、コピー取りもおつかいも
意義のある仕事になるはずです。
全ては雑用などではなく、目標に達するために必要なステップなのです。

就活でも、本気の思いは必ず相手に伝わる

就職活動は大きなプレッシャーもあり、大変だと思います。
しかし、そのプレッシャーを「絶対に乗り越える」という情熱をもって臨めば、
その人の才能と意識がすごく上がると思います。

本気で「行きたい」と思えば、絶対に行けると思います。
本気なら、発するメッセージが真実のものとなり、信頼につながります。
偽りではない自分をさらけ出すのはなかなか大変なことですが、若くて経験が足りなくても、
「本気で人を幸せにしたい」と思っていることが伝われば、
どの採用担当者も「この人と仕事をしたい」と思うはずです。

司馬遼太郎が描く小説の主人公はたいてい若造ですが、なぜあんなにかっこいいのでしょうか。
それは、就職活動の比にならないくらいの「日本をこうしてやろう」という熱い気持ちで
乗り越えていく姿から、本気であることが伝わるからだと思います。

だからみなさんも、就職活動を通してそんなかっこいい人間になってください。

全企業が採用予定人数をオーバーしてしまうような状態を、就活生が作ることだって
可能だと思うのです。
学生のみなさんは、社会の一番若いところにいるのですから、
ぜひ、そのくらいの運動量と熱量を出してほしいですね。


株式会社ジム 代表取締役 三浦 秀輝

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代表取締役 三浦 秀輝

株式会社ジム 代表取締役 三浦 秀輝

代表取締役 三浦 秀輝

株式会社ジム
設立 1966年7月
事業内容
  • メンズニット・カジュアルウェア全般 卸売業
会社HP http://www.gim.co.jp/company-profile.html

世界を駆け巡る商社マンに憧れた学生時代

小学校からずっと野球に夢中で打ち込んでいました。
大学に進学したのも、長い人生を考えてでしたが、野球で得たものは今のビジネスでも
大いに役立っています。
それは、一人では試合に勝つことは出来ない、チームワークが何よりも大切な様に、
仕事も社員や取引先の協力が無くては、成り立たないということです。会社を維持し
売上を出し、さらに社会に貢献できる仕事をしたいならば、絶対に一人では無理なんです。

大学時代は丁度、バブル真っ盛りで「遊ぶ」ことが楽しくて仕方なかったです。
そんな中、大学2年生の頃に山崎豊子さんの小説「不毛地帯」を読み、
その後の人生に大きな影響を受けました。
特に主人公 主人公の壱岐正のモデルとされている、瀬島龍三さんの生き方や
考え方には刺激を受けましたね。商社マンは海外への転勤も多く、外から日本の国を
どうしていくのか?そんな視点を持ちつつ働きたい!と漠然としてはいましたが、将来の
夢になりました。

一冊の本との出会いが、人生の視野を広げてくれることがありますから、皆さんも
学生時代には色々なジャンルの本を読むことをお薦めします。活字を読むと、その場面
を自分の頭で想像します。この作業は視覚情報とは異なり、もっと深い部分で自分自身
の思考に入ってくる気がします。そこには、もしかすると自分はこうなりたい!
というモデルが見つかるかも知れません。

人生何があるかわからない!

皆さんと同じように大学4年生には就活をしました。
もちろん「商社マン」を目指し、大手商社は全てエントリーし、
順調に選考をこなしていた時に、運命とも言える再会があったんです。
実は受けていた商社の隣のビルに大手都市銀行本社があり、
偶然そこで大学の先輩と再会しました。「久しぶり!」と挨拶をし、誘われるままに
社食へ案内されたんです。そうしたら、次から次へと大学OGが出てきて話をするこに。
その時は気づいてなかったのですが、後から聞いたらそれが面接だったようで・・・
それから、連日先輩方の猛烈なアタックを受けて銀行への就職を決めました。
銀行での経験は、今のポジションをこなす上で大いに役立っています。
また、銀行での経験で考え方1つでどうにでもなること前向きに考える重要性を
感じ身につけることが出来ました。

資本力や価格で勝負はしない、小さくてもキラリと光る会社でありたい

当社の強みは、メンズでしかも<ニット>と<カットソー>のみの専門製造卸会社。
と言う点です、メンズニットと言えば、日本では三本の指に入ると自負しております。

ですから、事業規模や品ぞろえの幅で勝負しようとも考えていません。
大手の資本力や価格競争と同じ土台に乗っても勝ち目はありません、でも、大手では
出来ない商品を提案する技術力や開発力を持っております。
小さくてもキラリと光る企業であることが、大事なんです。

そのために、今から25年前にオーガニックコットンを主原料としISOを取得しました。
これは、アパレル業界では当社が初めてのことでしたが、次世代に緑豊かな地球を
残していく為にどうしたらいいのか?を考えてのことです。
実は綿花は寄生虫がつきやすく、農薬をまかないと収穫まで至らない、非常に栽培の
難しい直物です。幾ら収入を得て生活するためとは言え、土壌や水質環境、ひいては
生産者にとっても良い環境とは言えません。

ならば、自分に今出来るのは、値段は張るけれど生産者の健康、土壌や水質の汚染を
防ぎ、我々が持続的に経済活動を行うために、オーガニックで行こうと決めたんです
あの時の決断から、学んだのは<何もしないのが一番のリスク>になるということ。
人間は変化を怖がる生き物ですから、、出来ない理由を並べて挑戦をしない選択を
することが多多あります。しかし、失敗を恐れて、何もしなければ失敗の理由すら身に
付きません。もし、失敗してもやり直せばいいんです。

クリエイティブの源は笑顔

私たちの商品は<MADE IN JAPAN>が基本です。
国内で多くの人と企業の仕事を経ないと商品には出来ません。ところが、昨今の円高の
影響で、モノづくりを担う企業が海外に出てしまうと、品質と感性維持が難しくなります。
だからこそ、日本にしかできない<技術>・<ノウハウ>・<感性>を大事にし、海外に
<MADE IN JAPAN>を売り出していきたいのです。
日本の消費者の目は、世界一厳しいですから、日本人が認めたものは世界に誇れる
商品と言っても間違いではありません。
そして、着心地やお客様がワクワクするような商品を提供していくことも、
私たちの使命だと思っています。

そんな私たちと一緒に仕事をしてくれる人に求めるのは、まず笑顔です。
笑顔を作ることで副交感神経と交換神経が刺激され、クリエイティブな仕事にはとても
役立ちますし、笑顔のない人とは一緒に仕事をする気にはなれません。

学生の皆さんには、個性を伸ばすことを大切にして欲しいですね。
そのためには、まず徹底的に自分を知ることです。就職活動はある意味、自分と言う
商品を売り込むのと同じです。自分自身=商品をきちんと理解せず、売り込むポイントも
分かっていない人間から、人は絶対に購入はしません。
自分自身の今までを振り返り、きちんと棚卸をしなくては、長所も短所も出てくること
はないんです。就職活動だから必要なのではなく、これからの人生の一区切りとして
絶対に必要なことです。そのために、準備できている人は、どんな状況で話を振られて
も、どんと構えていられますし、一緒に成長していける人材だと思えますね。

マテックス株式会社 代表取締役 松本 浩志

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代表取締役 松本 浩志

マテックス株式会社 代表取締役 松本 浩志

代表取締役 松本 浩志

マテックス株式会社
設立 1949年11月8日
事業内容
  • 窓卸売り事業
  • 窓製造・加工事業
  • ECOガラス事業
会社HP http://www.matex-glass.co.jp/

大手企業の海外要員として働くも、違和感を抱いていた日々

当社は祖父が昭和3年に創業し、今年で83年目を迎えます。
私は3代目の社長で、就任して3年が経ちました。
社長になる前は、社内システムの再構築の業務や
営業などを6年ほどやりました。

ただ、私は大学を卒業してすぐマテックスに
入社したわけではありません。
アメリカに留学をして大学院まで進み、MBAも取得した後、
25歳で東芝に入社しました。
東芝での仕事は、DVDプレーヤーの海外営業担当。
日本国内で生産した製品を、アメリカやヨーロッパに
販売する業務に就きました。

東芝では4年間お世話になりましたが、
途中から違和感を抱きながら仕事をしていた部分もあります。
というのも、当時のDVDプレーヤーの市場は競合が多く、
価格競争一辺倒、いわゆる値下げ合戦のような状態だったんですね。

東北の工場などで1円単位の原価引き下げに努力して生まれた製品を、
営業現場では値引き交渉ばかりで、どんどん値下げして売ってしまう現実。
ひたすら価格競争をすることが、果たして皆の幸せにつながるのかと、
そういった疑問を感じながら仕事をしていましたね。

社内システムの構築を通して、自社について学ぶ

マテックスには、29歳の時に入社。
初めは会社の仕組みや仕事の流れを勉強するということで、
社内の基幹システムの構築を任されました。

この仕事をするにあたっては、「お客様から注文をいただく」
「システムにのせる」「荷物が届く、回収する」などの
一連の流れを一つ一つチェックをしながら進めていきました。
そのようにしてシステムの整理や見直しを行いましたが、
完全にシステム化ができたわけではありません。

それまでずっと皆が好き勝手にやっていたので、
急に変えるのは難しい部分もあったのです。
「基本的にやりとりはファックスでやってます」とか、
職人さんは、「いちいち字を書いてやってられないよ」など・・・。

そういった部分に対して、それ以上行うと
組織が壊れてしまうことも考えられたので、
本当に見直すべきところだけ見直して、あとは現場レベルで
柔軟にやっていきましょうということにしました。
結果的には、それで現在に至っています。

創業以来初めて経営理念を明文化

2007年、35歳になった時に、そろそろ社長を交代すると言われます。
そこから、どう受け継いでいこうかと自問自答が始まりました。

最初に手掛けたのは経営理念の制定です。
実は初代も2代目も、経営理念を文章として掲げて、
皆でそれに向かって事業を発展させていこうということを、
やっているようでやっていなかったんですね。
そうしなくても、マテックスの企業風土や文化というものは、
しっかりと根付いていたということです。

しかし、幹部には浸透していたとしても、これから新しく入ってくる人間と、
共有していくことができるのだろうか。
これはやはり、きちんと整理をして明文化し、社員一人ひとりと共有する必要がある。

そのように考えて明文化した経営理念は、
今までのマテックスが大切にしてきたことを言葉にしました。
やはり創業以来80年も続いてきたのは、良いエッセンスがあったということ。
そこで80年の歴史を紐解く作業を行い、私なりに解釈をして、
経営理念を制定しました。

本業に精進することが社会貢献につながるという意識

【窓をつうじて社会に貢献する】
これが当社が第一に掲げている経営理念です。

「窓」というものは、実は非常にたくさんの機能があり、
生活や社会に役立つものなのです。
例えば、断熱効果の高い窓を取り入れることで、
環境負荷の軽減やCO2の削減をすることができます。
また、それ以外にも、安全、防犯、防災など、様々な機能も担っています。
つまり窓ガラスは、社会性や公益性が非常に高い商品なので、
それをしっかりと伝えていくことは、社会への貢献につながるはずです。

最近は、「企業の社会貢献=CSR」が盛んに行われていますが、
企業のポーズのため、宣伝のためというのも少なくありません。
しかし当社では、扱っている商品の社会性が抜群に高いので、
本業で社会貢献を行うことができます。

要は、本業のど真ん中で自分たちの役割をきちんと認識して、
提案してお届けすることが最大の社会貢献であり、
CSRになり得るのだということです。
本業において社会にどれだけインパクトを与えることができるか、
また、社会のニーズに対して発揮できるか、
これが全てだと思っています。

卸売りにこだわり、「街のガラス屋さん」を大切に

経営理念の中で、当社の特徴をあらわしているのが、
【「卸の精神」を貫く】です。

これは、「商品をどこに売るのか」ということ。
ほとんどの卸売業者が直接販売を行っている状況で、
私たちはそれをせずに、あくまでも卸売りにこだわり、
いわゆる「街のガラス屋さん」との商売を大切にしています。

卸に特化している理由は、窓ガラスというものは、
直販できるような簡単な商品ではないからです。
窓はそれぞれにサイズがあったり、様々な条件があります。
本当に究極の「オンデマンド商品」と言ってもいいほど。
そういった複雑な、きめ細かな対応が必要とされる商品が、
直接販売で対応することができるかということ。

私は、業界の構造は「生態系」に近いものがあると思うんですね。
生態系が崩れると、末端の生物に悪影響を生じます。
それと同じで、直接販売で構造が崩れてしまうと、
最終的には、非常に悪い形で生活者にかえっていきますし、
業界自体も健全な競争ができなくなってしまいます。

そういった悪循環に陥らないためにも、
当社は「卸の精神」を貫くことにこだわっているのです。

求めているのは「理念に共感してくれる人」

経営理念は、会社そのものです。
だから、当社の売り上げや規模に注目している人よりも、
経営理念に共感してくれる人を受け入れたいですね。
事業や売り上げは、時代や環境によって変わることもありますが、
経営理念は、少なくとも私が生きている限りは不変です。
まさに会社の根幹の部分なので、その理念が面白い、
魅力的だと思ってくれる若い人なら、我々も手を尽くして育てます。

窓ガラスという商品は、これからますます必要とされてきます。
生活の中でも社会の中でも、今まで以上に見直される、
そういった商材なのです。
ただし「それなら業績も良くなるぞ」という反応をするのではなく、
「自分も社会貢献に携わりたい」と考えてほしい。

本業の中で社会貢献に携わることができる。
そのように受け止めてもらうことができるように、
事業を通して私たちの理念を伝えていきたいと思っています。

株式会社ブライダル・イン・プロジェクト 代表取締役 山田 希彦

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代表取締役 山田 希彦

株式会社ブライダル・イン・プロジェクト 代表取締役 山田 希彦

代表取締役 山田 希彦

株式会社ブライダル・イン・プロジェクト
設立 2002年12月
事業内容
  • 引き出物、ブライダル関連商品販売
会社HP http://www.bridalin.jp/

幼少の頃から抱き続けた社長願望

幼い頃から、父親の仕事関係で経営者と家族ぐるみで付き合う機会が多くあり、
小学2年生の頃には、カッコいいオヤジ=社長になりたいと思っていました。
就職活動の時期になり、まず迷ったことは、自分で起業するか、新卒という一生に一度
しかない機会を活かして会社に就職するか、ということでした。起業はいつでもできると
思ったので、一度社会に身を置く意味からも、就職する道を選び、将来、起業することを
見据えたネットワークの構築や学習に力を注ぐことにしました。

就職活動中では、父親から言われた印象的な言葉がありました。
それは「人と人とのつながりがビジネスを生み、ビジネスが人と人とのつながりを生む」
「就職したいがために迎合することなかれ!自分が自分らしくいることこそが
社会から必要とされる」というものでした。
これらのアドバイスを聞いたとき、就職活動でいくら自分を偽っても仕方がないと
気づいたので、面接やOB訪問を思いっきり楽しむようにしました。その上で、就職先に
証券会社を選んだのは社長になりたいという思いが強く、色々な社長に会う仕事がしたかったからです。

また、当時の証券会社では人材育成に一段と力を入れていたので、
自分自身が成長できる場所であるいう点も魅力的でした。
就職したのは最初に内定をくれた日興證券(現SMBC日興証券)だったのですが、
そこでの面接で入社動機を聞かれた際には「僕は社長になりたいんです。将来は独立
するか、日興証券の社長になるか、どちらかです」と答えました。
普通、学生がこんな生意気なことを言ったら、面接で落としますよね。
でも、日興証券はそれをしなかった。日興証券という会社の懐の深さに今でも感謝しています。

日興が買収され、外資系に転職へ。

就職した後、98年に金融危機が訪れました。
長銀、山一證券が倒産、年功序列が崩壊するなど大きなパラダイムシフトが起こりました。
そのような中、インターネットブームが到来、新時代幕開けの年となりました。
私の周りには、寄らば大樹の陰的発想から脱却し、起業家志向の仲間が多く現れました。
かくいう私も、仲間二人を引き入れて、一緒にインターネットカンパニーの起業を真剣に考えました。

実際に事務所を借りて、設立準備室まで作ったのですが、過熱気味の
インターネットブームに終焉が近いと感じた私は起業する事を一旦延期に。
時を待つことも重要な決断だと思ったため、会社に残ることにしました。
営業を頑張った結果、入社3年目でニューヨーク・スイスでの短期研修の機会を
得ることができました。海外研修はとても勉強になりましたが、もっと刺激的な環境で
働きたいという気持ちが高まりました。

ちょうど、そのころです。日興証券がトラベラーズという会社に買収され、
海外駐在員事務所撤退、海外研修制度の廃止が決定しました。この買収によって、
会社のベクトルが変わり、自分自身のマイルストーンの軌道修正を図ることとなります。
そこで、将来的にも語学を習得しておいた方が自身の可能性が広がると考え、
外資系(ドイツ)の銀行グループへと転職しました。また、自分が起業する上での
貴重な経験として生かせると思い、新規事業の立ち上げに参画しました。

いざ、ブライダル業界へ

ドイツ証券では、約20数カ国の1200人と仕事をする機会に恵まれました。
様々な外国人と関わる環境の中で、発見したことは日本人のアインデンティティの大切さです。
それに気づいたのは、外国人から日本のことを聞かれても、歴史的背景や精神文化的
なものまでは答えられない自分がいるということからでした。
この事が、グローバルを考える前に、日本人のアイデンティティーとは何かを
自問自答するようになったのです。それをきっかけに、起業するなら、日本の伝統や
文化に何かしら関係するような土俵に関わりたいと思うようになりました。

ちょうどそのころ、ブライダル関係で活躍する同世代の社長と知り合い、
日本のブライダルの中で一番イケていないのは「引き出物」だという話を聞きました。
昔から、仕事でもそうでしたが、負の遺産をプラスに変え、再生するといった行為に
魅力を感じる傾向にあったので、このマニアックな「引き出物」について自分なりに調べて
みることにしました。
「引き出物」の意味を調べた結果、引き出物の習慣はなんと1200年も前の平安時代
からあり、人と人「点と点をつなぐ」という本来の目的があるということが分かりました。
人と人、人と社会との関係性よりも、利便性や効率が優先される現代社会に問題意識
を持っていた私は、引き出物本来の意義再生により、この問題解決に貢献できる
のではないかと思ったのです。

新しい形の「引き出物」

周囲から、金融業界とは畑違いのブライダル業界に飛び込むなんて無謀だとも言われました。
しかし、イノベーションを起こすのは業界を知らない人間であることが多いのも事実。
自らも将来の新郎であるとの当事者意識をベ-スに業界無知であることを最大の武器
として、ブライダル業界に飛び込むことにしました。
企業コンセプトや企業名、コーポレートカラーなどの決定には時間をかけて取り組みました。

製造系メーカーやデザイナーを探すのにも、こういうものが必要だと周囲に言いふらし、
情報提供があればすぐに会いに行くといった即行動を心掛けました。
また、ホテルやハウスウェデング会社などにプレゼンテーションを行う場合には、
ライフスタイルを切り口に「引き出物は二人の新生活の予告編」だということを言い続けていました。
引き出物にもっと二人の主張が垣間見えてもいいんじゃないかという思いがあったからです。

最初は斬新過ぎるとエンドユーザーの反応が厳しくもありましたが、
コアなファンから自社商品の良さが徐々に広がり、今ではのべ300万人の披露宴参加者に
贈られる会社に成長しました。

ブライダル業界に対しての新提案

現在、結婚式を挙げずに結婚する人が年々増えています。
一方で、離婚率は年々上昇し、3割を超えたというデータが挙げられています。
この二つを注意深く見てみると、相関性が高いことに気付きます。
二人の愛を周囲の人達も巻き込み誓う結婚か否かという差なのだと思います。
結婚式を挙げないより、挙げた方が結婚の誓いへの責任や体裁が生まれます。
今後直面するであろう様々な問題への夫婦としての向き合い方が変わってくるのです。

多くのカップルに末永く幸せになってもらうためには、どうしたらよいのか?
答えは、結婚式を挙げてもらうことだと思います。では、どのようにしたら一人でも多くの
カップルが結婚式を挙げるようになるのか。お客様の声に耳を傾けると同時に
潜在的欲求へ働き掛けていくことがその解決策になるのです。

ブライダル産業は古くから業界慣習に守られてきました。
結果、高コスト体質と既得権が生まれ、改革が先送りされてきたのです。
結婚式・披露宴実施率の低下はお客様からのメッセ-ジとして真摯に受け止め
なくてはならないのです。新規獲得営業への傾斜と売り手都合の商品・サ-ビスラインナップ
が自らの限界をつくり、顧客満足の低下を招いてきたのです。

私たちはこれらの問題に向き合い、解決する事でブライダル業界の、
広くは日本の未来に貢献したいと切に願ってます。
これからの結婚式は会場というハードに頼るのでなく、ウェディングプランナ-や
コンセプトといったソフト面を強化していくことが大切で、お客様にとっては当然のこと、
業界で働く人たちにとっても、よりよい環境を創っていきたいと思います。

求める人材は熱い人間!

創業当初は2人体制でしたが、現在30人程に増えました。
これまでは中途採用を中心に進めていましたが、新卒採用も3年前から始めています。
自分が新卒のときにお世話になった先輩や上司に恩返しをすることはなかなか難しいですが、
自ら人材を育てることで恩返しが出来ればと考えたからです。親から受けた愛情を
子に返すという面では「結婚」も新卒採用と似た面を持っていますね。

私の率直な感想は、今の学生にはどうしても弱いといったイメージを持ってしまいます。
そのような受け身になって仕事を待っているサラリーマンタイプの人間では生き残れません。
そうではなく、私は当社を卒業しても社会で活躍できる人材を育てたいと考えています。
特にブライダル業界では、熱い人間、お客様の立場に立って感情移入できる方が適していると思います。

就職活動は二度とないチャンスなんです。たとえ失敗したとしても、
「ここまでやった!悔いはないぞ」と思えるくらい、熱き想いで取り組んで欲しいです。
とにかく、自分を作らずありのままの姿で望んで下さい。特に男!!

株式会社成田デンタル 代表取締役 石川 典男

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代表取締役 石川 典男

株式会社成田デンタル 代表取締役 石川 典男

代表取締役 石川 典男

株式会社成田デンタル
設立 1983年3月
事業内容
  • 歯科技工物(入れ歯・差し歯等)の販売
  • 歯科医療事業所に対してのコンサルティング
  • 新卒採用コンサルティング
会社HP http://www.narita-d.co.jp/corporate/

大企業に行くつもりはなかった

親が中小企業をやっていて、小さな頃から「大きな会社の歯車になるより、
一人でも良いから大将になれ!」と言われて育てました。
大学は工学部機械学科で自動車の研究をしていましたから、自動車メーカーなど、
教授推薦で入社しやすかったのですが、分厚い就職ガイドの中から、会社の中で影響力を
示しやすい従業員100人以下の会社だけを選んで自分に合う会社を捜していました。

そんな時、ふと思い出したのは、高校の頃、歯科大に入りたかった時期があったことです。
医療系の会社は、専門知識が必要な業界なので自分に合っているかもと思いました。
そこで、小規模の医療系の会社に絞って試験を受け、歯科関係の会社に就職したのです。

就職した会社では、できたばかりの営業所へ配属になり、所長と半年前に入社した
ばかりの10歳年上の先輩と僕の3人だけの所帯でした。
人と話すより機械をいじっている方が好きだったので、営業マンのタイプではなかったの
ですが、営業をやれと言われ、やってみたら面白くて、それ以来、営業一筋になりました。

成田デンタルを設立するも、倒産寸前に

最初の会社には1年8ヶ月いました。この時期、私は猛烈に仕事をしていました。
毎日約420Kmも千葉県内を走り回り、朝の5時から深夜まで仕事をしていました。
でも仕事が楽しくてしょうがない。自分の成長が1日1日はっきり見える。楽しいからもっと
勉強しもっとやりたい。
そんなことをしていたら新人でありながら桁外れな営業成績を残していたのです。
仕事一色でしたが、この経験が今の私を作ったのだと思います。

夢中になって仕事をしていると、先輩と私はヘッドハンティングされ、2年後に独立させて
くれるという約束で次の会社に入社し、1983年に先輩と2人で成田デンタルを設立しました。
売上げは順調に伸びましたが、経営は非常に厳しい状態でした。
独立させてくれた会社が、独立後数ヶ月でつぶれてしまったからです。
その会社に銀歯などの技工物の製造を依頼して、営業だけをしていたのが、倒産した
ため、社内に技工所を作ったのですが、技工所の運営は難しく、4年後には借金だらけで、
倒産同然の状態になったのです。その後、社長の失踪により、急遽社長になりました。

倒産寸前になってしまった大きな原因は、先輩の経営に対する考え方でした。
売上は毎年伸びていましたが、社員を安い給料で深夜まで働かせ自分だけ良い生活を
していたのです。当然社員の志気が下がってしまったわけです。

自分のためでなく、相手のために

会社を作ったときから、「世界のNARITAにしよう!」という大きな夢を持っていました。
どこで狂ってしまったのか真剣に悩み考えました。考えてみると、会社を大きくしたいのは、
給料がたくさん欲しい、自分の地位・名誉を高めたいといった理由だったのです。

「今までは自分のことしか考えてなかったな。ここが違っていたのか」と気付いたのです。
それからは、自分のためでなく、「相手のため」という考え方に変え、これを経営理念の基本にしてきました。
借金だらけの余裕のない会社でしたので、半分開き直りでしたね。

まず、営業社員の給料は基本給は据え置きで業績加算給を付けました。
次は、仕事を頼んでいる技工所への支払いも、遅れがちだったのを前倒しで払うことにしました。
そうすると、営業はやればやるだけ給料が上がるので頑張ります。
作っている人たちは、安心してより多くの仕事をしたくなり、より良い製品を作ってくれるようになったのです。
見事、プラススパイラルに転換したのです。
売上げが急増し、2億5千万円の年商が4年後には4倍の10億円になりました。

最近、成田デンタルを真似する会社がたくさん出てきましたが、皆なかなか上手くいってません。
なぜかというと、システムだけ真似して、魂がないからうまくいかないのです。
当社は、成田リンクシステムという歯科医と相性の良い技工士をマッチングするシステムを
20年以上やっていますが、常に進化しています。それを真似しても、古いことを真似ている
だけなので、他社は追いかけてこれないのです。

「自分より相手」という考え方で全員が仕事をしていれば、何があろうが毎年、
ちゃんと売上げを伸ばすことができます。

人のために仕事ができる人が集まった会社になった

成田デンタルは13年前から新卒採用に力を入れ、今では「相手の立場に立って
物事を考え行動する」という考えに賛同して入社してくれる社員ばかりになりました。
成田デンタルは入れ歯、差し歯などの「歯科技工物」を歯医者さんに販売、営業活動をする会社です。
医療の仕事の本質は、病気や怪我の人を治したい、具合の悪い人や健康を求めている人
を助けたい、という気持ちが根底に無いとできません。それは自分中心の考えではなく、
他者のためにどれくらい尽くせるか、人の役に立つことに充実感を感じるかだと思います。
ですから「人のために頑張れる人」というモノサシがどうしても必要になってくるのです。

お金でもない。休日でもない。福利厚生でもない。それらを前面に出さず、
ただ「人の役に立つ仕事を一緒にしませんか」「ありがとうと言われる仕事をしませんか」を
ひたすら学生さんに言い続けて来ました。
そうして成田デンタルは「人のために仕事ができる人が集まる会社」に生まれ変わったのです。

海外進出で日本の業界を活性化

今年は海外事業部をつくり、年内にはアジア圏に進出する計画です。
また、欧州や米国、オセアニアなど英語圏への進出も視野に入れています。

日本の技工の技術は世界一です。その技術を世界に発信し、日本の技工を根付かせ
海外の技工技術のレベルアップを行うことで、日本の技工業界も活性化することでしょう。
当然、海外でも成田リンクシステムにより営業活動をしていきます。

従来になかった業界の常識、概念を覆す取り組みは既に始まっており、成田デンタルは
東京駅八重洲口の駅前に「一流の歯科技工士が一流の歯科技工物を作る」をコンセプトに
「La cima八重洲」という高級ラボを開設しました。ここを拠点に、「La cima」というブランドを
世界に発信し、世界的なブランドを作り上げていきたいと思っています。

社長が採用に時間を割く会社は、人を大事にする

当社の求める人材は
「明るくて、元気が良くて、笑顔のステキな人」+人の役に立つ仕事がしたい人。
人から「ありがとう」と言われてやる気が出る人、充実感のある人です。
学歴や成績で判断はしません。

就職活動中の学生には、自分にとって良い会社をさがしなさいと言いたいですね。
自分の足で説明会へ行って、色々な人と会ってみて、自分の肌に合う会社を捜すのです。
捜したら、そこにどうしても入りたいという思いを強く持つことが必要です。
それでもダメな場合は、その会社と自分が合わないということ。落ちても悲観的にならないことも大事です。

社長が説明会や面接に時間を割き、採用に力を入れている企業は、
人を大事にするのでいいと思いますよ。
社長が自分の貴重な時間を使っているわけだから、それだけ真剣に選んでいるのです。
辞められたら困ります。

私は、自分の仕事の時間の3分の1ぐらいを採用に使っています。
本当にこの会社に合う人を捜して、その人が意欲を持ってやってくれたら、会社は勝手に
動いていきます。いかに会社に合う人材を捜し、その人を適材適所に振り分けて、
教育する以外に、経営は必要ないのでは、と思っているぐらいです。

学生の皆さんにはそんな人を大切にする会社に巡り会い入って頂きたいと、心より願いっております。
一緒にがんばりましょう。

関東食糧株式会社 取締役 副社長 臼田 真一郎

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取締役 副社長 臼田 真一郎

関東食糧株式会社 取締役 副社長 臼田 真一郎

取締役 副社長 臼田 真一郎

関東食糧株式会社
設立 昭和42年12月
事業内容
  • 業務用食品(和・洋・中)、冷凍食品酒類、米穀、厨房機器の販売
会社HP http://www.kanto-syokuryo.co.jp/

社業は生活の一部

私は生まれも育ちも埼玉県桶川市です。
関東食糧は父が1967年に創業した会社で、乾麺やかき揚げ、惣菜などをスーパーに
売るところから始まり、1970年に業務用の食材卸に転換しました。
私が小学生の頃は自宅のすぐ隣が会社の倉庫で、毎朝、朝礼で父が社員に話をする姿を
見ながら登校していました。
キャッチボールも自転車の乗り方も社員さんに教わり、当時から「君が2代目だよ」と
言われてきたこともあり、私にとって社業は生活の一部のようなものでした。
地元の中学を卒業し、高校、大学は東京に出ました。
高校は男子校で、文化祭実行委員会に所属し、
いかに女子高生を呼び込むかに情熱を燃やしました(笑)。
普通、こういった実行委員会は毎年有志が集まって作るものですが、
私たちの委員会はほとんど部活化していました。
集客と企画、とにかく多くの人を呼ぶために工夫を凝らし、オリジナリティのある文化祭を
運営しました。何年か前に母校のホームページを見たら、私の考えた企画がまだ続いていて、
なんだか嬉しかったです。
文化祭当日は忙しくて、結局女の子を案内する時間もありませんでしたが、
終わった後の達成感と充実感は素晴らしかったですね。

業界の変革を肌で感じた

大学は東京理科大学に進学しました。
私は何かを始めて熱中すると、結構のめりこんでしまうたちで、
大学時代はラクロスにどっぷり浸かりました。
当時ラクロスは日本に入ってきたばかりのスポーツで指導者がいませんでした。
ですから、部の仲間で集まって協会の開催するクリニックに参加し、
練習メニューから戦略、戦術まで全て自分たちで考えて…。
それがまた面白さの一つでもありました。
卒業後は、社業の勉強もかねて味の素に就職し、
3年間、神戸営業所で家庭用商品の営業をしました。
当時、家庭用食品の卸、販売業界は大きな変革期を迎えていました。
酒問屋と食品問屋が一緒になる合併の動き、
RDC(流通加工広域対象形物流センター)という新しい物流、
大手商社系卸のスーパー専用センターなど…。
そういった変革期のなかで、大きな流れを肌で感じることができた事は、
とても良かったと思っています。

社に一番必要なのは、新しいシステム

関東食糧に入社したのは2000年です。
1年目は営業マンに同行したり、市場の店で働いたり、一通りの部署をまわりました。
そして、この会社に一番必要なのは、新しいシステムだと感じました。
翌年からシステムを変えるプロジェクトを立ち上げ、
約3年かけ、システムを全て変更しました。
新しいシステムを導入し、不具合のないようメンテナンスする、
これはとても大変な作業でした。
私たちが扱っている商品は当時でも1万8000アイテムはありました。
それを全て重複がないかチェックし、新しい分類に振り分ける、
そのマスター作りには多くの時間を費やしました。
しかし、このシステム変更をしたおかげで会社全体を把握することができ、
私にはとてもいい勉強になったと思っています。

早く、細かく、正確に商品を届ける

仕入れ部長から常務に就き、2010年2月に取締役副社長に就任しました。
ちょうど40周年を迎えた年で、これを機にコーポレートマークを変えたんです。
それまで6本線が入っていたのを3本線にし、
その一つひとつに「商品力」「提案力」「対応力」の意味を込めました。
中でも特にここ3年は対応力の強化に力を入れてきました。
私どもは卸問屋です。問屋というのはものを作るのではなく、メーカから必要な商品を
仕入れ、お客様に運ぶ商売。仕入れた商品を正確に届ける、これが「対応力」です。
リードタイムも含め、早く、細かく、正確にを追求することが、対応力を高めることに
つながるのです。
父の立ち上げたグループでNCF(日本業務用食材流通グループ)という集まりがあります。
このグループの酒問屋さんで、すごく先進的な物流システムを持っている会社があるんです。
そのシステムを見た時に、うちの会社も本格的に物流システムを改革しなくてはと思ったんです。
物流準備室を作り、投資をし、人材も育成して2010年7月に、
一度新システムに変えたんです。大失敗しました。
3日間、本当に荷物が出せなくなって…。仕方なく元にもどして、最初からやり直しです。

地域の食文化向上に貢献する

大失敗から半年、昨年5月に新たに受注センターを立ち上げました。
このセンターでは24時間、パートさんが注文書を打ってくれます。
そのデータを倉庫に飛ばし、荷積みをする。
この仕組みができて、配送車の出発時間が1~2時間早くなりました。
現在50台ほどの車を出してますから、1台あたり2時間違えば、社として1日100時間
違うことになります。その空いた時間を、今度は「提案力」の強化に当てる。
現在、「1.5倍の行動量で、1.2倍の売り上げを作ろう!」を合い言葉に
様々な取り組みをしています。まずは売上で100億円を突破するのが目標です。
物流の改革で今は経費が膨らんでいますが、100億円を突破してこれば経費は抑えられる。
そうなれば次は大型の物流センターを建てたいと思っています。
私どもは地域に根ざした卸問屋です。
例えば、このあたりには海がないから、魚介をもっと豊富に取り扱えるようにしたり、
地産地消で農家と飲食店をつなげたり。地域の飲食店さんのために、様々なことができる
汎用センターを作っていきたい。
地域の食文化向上に貢献できる会社として、地域の外食産業を盛り上げていく、
これが我が社の使命だと思っています。

大きな夢を持ってもらいたい

今の若い世代に対しては、「もっと元気を出してほしい」と言いたいですね。
私は仕事で中国やタイによく行きますが、それらの国の若者は、ほしいものが
たくさんあるし、夢や希望を持ってやりたい事をたくさん持っている。
彼らを見ていると、このままでは日本は負ける、と思えてきます。
それを打破するのは若い世代。
これから社会人になる世代が日本を変えていかなければなりません。
そういう意味で、もっと自分たちの可能性を信じてもらいたいと思うし、
大きい夢を持って社会に出てもらいたい。
今の日本の置かれている現状を世界から見る、そういった視点を持った社会人に
なってほしいと感じます。

株式会社 STARTTS 代表取締役社長 吉崎 伸之

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代表取締役社長 吉崎 伸之

 株式会社STARTTS 代表取締役社長 吉崎 伸之

代表取締役社長 吉崎 伸之

設立 2012年1月17日
事業内容
  • 機能的なカジュアルバッグ、ビジネスバッグ、使い勝手の良い文具雑貨、コスメ製品および生活雑貨の企画、製造、販売。
  • 台湾ハンプ製品会社「GUANG FU HAO」の独占販売。
  • その他OEM製品の企画、製造、販売。
会社HP http://www.startts.co.jp/

スキューバダイビングに生きた高校時代

高校時代に調理関係のアルバイトをはじめて、ある程度お金を稼ぐ楽しさが
分かってきたんです。
これはいいなと、週の大部分の時間をアルバイトに費やしていました。
そこでお金が入るようになると、次に知るのがお金を使う楽しさです。
当時はサーフィンが流行っていたのですが、あえて選んだのが
スキューバダイビング。
正式なライセンスも持っています。
毎週のように中野のダイビングショップに通い、
半分従業員のようなアルバイトをしていました。
スキューバをするにもお金がかかるので、自分でお小遣い稼ぎをしながら
毎週末伊豆まで出かけ、遊んでいたというわけです。

スキューバをはじめた理由は、
これからスポットが当たるものを先取りしておきたかったから。
単純にみんながサーフィンをやっているから自分もというよりは、
新しいことをやってみたいという気持ちが大きかったのです。

ダイビングショップに集まるさまざまな世代の方と
お付き合いができたことも非常に良い体験でした。

調理師から営業の道へ

高校卒業後は、調理師の専門学校に進学しました。
その後レストランに就職し3年ほど働きました。

これからの道を模索していたところ、
呉服屋を営む実家を継ぐという話が出てきたんです。
今まで自分のわがままを通してきたこともあり、
一旦調理の道は諦めようと決心しました。

まずは「モノを売る」営業を覚えようと求人を探しました。
そこでめぐり合ったのが、前職のバッグ制作会社。
現会社の前段階となるカバン販売の企業です。
縁あって採用が決まり、営業として入社しました。
自分ではそこで3~5年勉強して退社し、実家を継ぐつもりだったのですが
結局15年以上もいました(笑)。
その会社は当時創業5年の若い会社で
これから急激に変化を迎える段階だったのです。
自分が会社の戦力となり、業績拡大の一員になってしまったこともあり
なかなかやめられなくなってしまったんですね。
次第に会社への愛着心も生まれ、今後もっと大きくしていきたい
という気持ちが強くなりました。

従業員の目線に立った経営理念

ノ-マディックのオーナー社長からは、独自の企業理念を教わりました。
常に従業員の目線で経営を考えるということです。
たとえば賞与は利益にあわせて還元するなど、業績に応じたレスポンスをする。
それにより、モチベーションアップを図ります。
また、育児手当など従業員が本来必要としているものを分析して
規約に落としていくこともありました。
会社だけでなく従業員も一緒に進んでいこうという考え方が
実践されている風土だったんです。

私は営業として入社し、生産管理、商品開発、財務を経験しました。
会社経営の全般的なことも次第に分かるようになり、
33歳のときに専務取締役の職を打診されました。

社長が私を経営に参画させたいと考えていただいていたこともあり、
色々な部署を経験し、経営視点を養うことができたのです。
ぶつかり合いもありましたが、その点では非常に感謝しています。

この人と一緒に働きたい!をつくり出す

私が一番大事にしているのは「人の間のつながり」。
信用、信頼のことです。

たとえば、私が前会社から独立して企業を決めた際
なんと会社の営業部長、生産部長が私を助けるために、ついて来てくれたのです。
現在当社は東急ハンズ・ロフトなど全国展開の店舗様との取引が
ありますが、通常創業半年ではこれらの取引の許可は下りません。
生産に関しても、機能性を重視しているためある程度の技術をもった
工場施設を確保しなければなりません。
すべて、彼らの信頼・信用・ネットワークがあったからこそ
短期間でここまで売上を伸ばすことができました。

信頼のできるメンバーと共に、お客様のことを思いやった商品をつくる。
決して自己満足の商品ではなく、ついてきてくれるお客様の声を
きちんと盛り込んだ商品をつくっていくことが信頼・信用につながると
信じています。

社内では、「今後何をすればよいか分からない」ことはありません。
3ヶ月後、半年後に何をやるべきか全て分かっています。
その意識がメンバー内で共有できているので、皆率先してやってくれるんですね。

信頼のできるメンバーが集まってつくった会社だからこそ、
15年以上一緒に仕事をしている仲間だからこそ
つながりを大切にしたいと考えています。

人が持つ強さの意味を考える

「あの人強いね」という言葉が私は好きです。
精神的な強さと、体力的な強さ。
もうひとつは、思いやりがあるという強さ。

経営者になり、数年前から考え方が変わりました。
自分さえ良いというよりは、
会社を守り、みんなを幸せにしたいと考えるようになったんです。
自分の下にいる従業員を守りたい。
そのためには、どうすれば良いか。

企業当初のプレッシャーを乗り越えるためにマラソンを
はじめたのですが、今は大好きになってしまいました(笑)。
月間300キロ、雨の中でも雪の中でも走ります。

学生へのメッセージ

一番大切なのは、経験です。
今後、経験から生まれる人とのつながりは絶対に出てきます。
そこを一番重視してやっていった方が良いというのが、
20年以上の経験から感じたことです。

単純に終わる関係ではなく、色々なつながりを持つ経験をすると
後々必ず自分にかえってきます。
目先だけの損得で物事を考えず、自分自身が後にもっと大きく成長することを
想像するんです。

会社は自分だけでは成り立ちません。
今後、そのことを含めて人との関わり方を色々と考えてみてください。

株式会社天地林 代表取締役 河合敬則

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代表取締役 河合敬則

代表取締役 河合敬則

設立 2012年3月8日
事業内容
  • 木のおもちゃ、雑貨の販売
  • 新商品の企画・開発
  • 木材を多くの方に伝えるプロモーション企画
  • 「木の壁紙」の販売
会社HP http://www.tenchirin.co.jp/

将来は起業したいと、会計士の資格を取得

学生時代は、ゼミ長をやったり、サークルのイベントを企画していました。
人を楽しませることが好きでしたし、これをやったら楽しいんじゃないかな、
と自分から行動を起こすタイプでした。
就職活動中も、自分は大企業の中で働き続けるのは向いていないと、何となく感じていました。

この事業で起業したいという明確な目標はなかったものの、
経営をやってみたいという気持ちはあり、
就職して働きながら起業のきっかけを探そうと思いました。

また、会社を起こすなら自分がまず会社の数字を知らないといけないので、
将来役に立ちそうな会計士の資格を目指しました。

会計士になれば、いろんな会社の人と出会い、勉強ができます。
実際に、監査法人である前の勤務先に就職してみると、
多くの社長や経理の責任者と話すことができ、刺激や学びを得ることができました。

安定した会計士を辞めて起業

起業したのは、勤務先で同期だった佐々木との出会いがきっかけでした。
出会ってから3か月で、2人で起業しようと相談を始めました。

起業は2012年3月、と起業する時期だけを先に決めスタート。
なぜその時期だったかといえば、会計士の資格習得には、
監査法人で2年間、実務を経験することが必要だったからです。

その条件を満たしたところで退職し、会社を設立しました。

親には、なぜ安定した会計士を辞めるのかと反対されました。
実は結婚も決まっていたので、妻の両親には
自分はこういうことをやりたいと正直に話し、
しばらく見ていてくださいと、理解してもらいました。

起業の半年ぐらい前から準備を始めました。
といっても、考え尽して計画を練ったという感じではなく、
ビジネスを知っている人が見たら「これではまずいだろう」と言われそうなくらいで、
半年の準備期間を設けたとはいえ、退職まではあまり相談する時間が取れなかったのです。

日本の山や林業のためという使命感

林業で起業するというのは、佐々木と出会ってから決めました。
私も佐々木から聞くまで知らなかったのですが、
今、日本の山では、木が使われないまま放置されています。

一方では、海外で違法に伐採された木を輸入している日本があり、
その矛盾を何とかしたいと思いました。

現在、木造建築自体はそれほど減ってはいませんが
生活スタイルが変わり、木の使い方が変化しています。
それにより、建物の構造に木を使っていても、
目に見えるところには木が使われなくなっています。
そういったニーズを捉えられず、木材の流通が対応できていないのです。

日本の木材は平均すると輸入木材より安いのに
このニーズに合っていないために、
一部のこだわりのある人たちにしか使われていません。

林業に携わる山の人たちも、
木の使い方、木の良さを伝えてきれていないところがあります。

私たちの事業は、お金儲けのチャンスがあるからではなく、
苦労はあるだろうけれど、日本の山のために、
ビジネスとして成り立たないものを、自分たちの手で成り立たせてみよう、
という使命感からスタートしました。

会計の知識を活かして、山の税務や経営コンサルをやろうとか
林業に関する仕事といってもやりたいことはたくさんあったため、
何から始めるかを決めるまでには時間がかかりました。

一つ一つ気付きながら自分たちのすべきことを決定

木製雑貨のネットショップに決めたのは、会社設立の直前。
商品販売から始めることにしたのは、
もっと木の良さを生活の中で感じ、日本の木を使ってもらいたいと思い、
また自分たちがマーケットを知る、という目的もあったからです。

ところがインターネットの知識はなく、販売する商品もない、
ゼロからのスタートは苦労の連続でした。

販売する商品を集めるため、職人さんやお店に電話すると
半分以上は断られ、メールを送っても7割ぐらいは返信がありませんでした。

お店の立場になれば、まったく知らない会社が
いきなりやってくるわけですから断るのも無理はありません。
厳しいことを言われることもありました。
それでも、お会いできた人たちは前向きに私たちを受け入れてくれました。

70点ほどの商品がそろい、ネットショップがオープンしたのは設立から3か月後でした。
ところがオープンしただけでは商品は売れません。
ネット広告もほとんど効果がありませんでした。

そこで自分たちのことを知ってもらったり、木の良さをわかってもらうために
地域のお祭りや、木のおもちゃの集まるイベントに出展することにしました。
イベントに来た人たちと直接話したり、カードを作って配っているうちに
お客さんが少しずつ増えてきました。

結局、一人一人に会って、直接、自分たちの考えを伝えることが、
いちばん効果があったのです。

10年後、“山”を持つことが目標

林業や木を使うというキーワードで動いていると
日本の山に関心のある人たちが、周りに集まってきました。
また自分たちと同じように木の良さを広めたいという
意識を持った人たちとも出会うことができました。
うちにはこんなのがあるけど、というお話をいただくことも増えてきました。

その活動のなかで、木を薄くスライスして加工した
「木の壁紙」を作っている会社の社長と出会い、
「木の壁紙」を販売する事業もスタートしました。
建築士など事業者向けですが、
将来は、リフォームしたいという人たちにも販売していく予定です。
「木の壁紙」の営業をしていて、木を使うことで日本の山に貢献したい
という建築士にも出会う事ができました。

この壁紙を足がかりに、5年後の目標として、
床や柱など建材も扱っていけるようになりたいと思っています。

さらに、10年後には、山を所有し、木を加工する工場を持ち、
山から加工、販売まで一本化して、
山、工場、販売、そしてコンサルティングという4つの部門を持ち、
自分たちでやっていくことが目標です。

どんな小さな仕事でも、本気で取り組むことが大事

学生の皆さんに伝えたいのは、やりたいことを実現したいと思ったら、
与えられた目の前の仕事をまずは本気でやることです。

どんな小さな仕事、たとえば掃除でも、見ていてくれる人は必ずいます。
掃除をこれだけきっちりやる人なら、今度これをまかせてみよう、
ということがあるかもしれません。
すぐに認められなくても、無駄にはなりません。

それからもうひとつは、「これをやりたい」と思ったら
自分に言い訳をしない、自分を甘やかさないことが大事です。

やりたいことがあるなら、その目標に向かって信念を曲げないことです。

親に反対されたり、思うような会社に就職できなかったとしても
週末にいろんな人に会ったり、行動しているうちに道は開けます。

あきらめないで、ぜひその気持ちを持ち続けてください。


テラモーターズ株式会社 代表取締役 徳重 徹

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代表取締役 徳重 徹

代表取締役 徳重 徹

 
設立 2010年4月
事業内容
  • 電動バイク/シニアカーの開発・設計・販売
会社HP http://www.terra-motors.com/jp/

グローバルな働きかたを求めてシリコンバレーへ

大手損保会社に勤めていた20代後半の頃
「このままでは世界を相手に革新的なビジネスはできない」と考え、
退職してアメリカのシリコンバレーに行きました。
世界を相手に働きたいという思いは、学生時代にソニーの盛田氏や
本田宗一郎氏の著書で影響を受けてから、ずっと抱き続けていました。
ただし、行き先にシリコンバレーを選んだのは、グローバルな仕事をするためよりも、
今まで築いてきたものをゼロにしてまで行くのだから、敢えて難しいところで
チャレンジしてみたい気持ちが強かったからです。
私の考える「ベンチャースピリット」は、やはりシリコンバレーにあるという発想でした。

シリコンバレーでは、日本の会社の現地法人で働き始めましたが、
ITバブル崩壊が起きて、閉鎖すると言われてしまいました。
しかし就労ビザのことを考えると、法人に所属している必要があるため、
本社からの資金はいらないから、そのまま在籍させてほしいと頼んだのです。
それで法人を存続してもらい、自分でコンサルの仕事をとってきて、
収入を得ていました。

ベンチャー企業としてイノベーションを目指す

日本に帰国してきたのは、自分の価値を確立し、差別化ができたからです。
私が他のITベンチャーの社長と違う点は、
シリコンバレーへの渡米経験から海外のことを肌で分かっているところ、
盛田氏や本田氏など昭和の経営者の考え方を大切にしているところ、
更には母国である日本に対する思いがあるところです。

日本の大企業が下降をたどる今、私の役割は
日本発のメガベンチャーを作り出すことであると考えています。
そのためには、やはりシリコンバレーのようにゼロから何かを創り上げる経験をしていないといけません。
マイクロソフトを目指す、フェイスブックをぶっ潰す、そのくらいの気概が必要なのです。

メガベンチャーを目指すにあたって、「日本の技術を世界に」というのが私のコンセプトです。
そして、参入する業種として、イノベーションが今後起こるであろう分野に目をつけるのが大事だと考えています。
帰国して3年ほどはコンサル事業をしながら、色々と試行錯誤を続け、
見つけたのがEV(electric vehicle)=電動バイク。
従来のバイクと違い、EVはエンジンが一切不要であるため、
ホンダやヤマハなどの大手が参入してきません。
私はそこにビジネスチャンスを見い出したのです。

ビジョンを共有できる仲間と、世界を相手にビジネスをしたい

日本経済はこの20年間というもの、ずっとデフレ傾向で全てが縮こまっていますし、
「どうせ無理でしょ」「駄目だから」という雰囲気は充満しています。
あとは周りや相手を気にしすぎる人も多いと感じています。
坂本龍馬の有名な言葉に「世の中の人は何とも言わば言え。
わが成すことは我のみぞ知る」というものがあります。
世間が何を言おうとも、自分がやっていることは自分だけが分かっていればよい、
そのくらいの気持ちでやってほしいと思います。

私は世界を変えるというビジョンを本気で掲げているので、
当社にはその思いを共にする人間が集まってきます。
大手企業の海外駐在員、大手メーカーのエンジニア、
大手コンサルティングの会社員など、年収が4分の1になっても
当社で働くために転職してくるのです。

私の著書「世界へ挑め!」には、日本人が海外で戦うために必要なことを書きました。
それを読んでもらえたら、私のビジョンが分かりますし、
一緒に働けるのか、難しいのかが判断できるはずです。
そのビジョンを共感できる人間とともに、今後も進んでいこうと思っています。

アジアの市場へ本格参入始動!

当社はこれからアジアの市場、まずはベトナムとフィリピンへと本格参入をします。
もともと私はアジア中心に事業展開をしていくつもりでいました。
グローバルな時代となった今、本社をどこにするか、製造は、市場は、と考えて、
最適なところでビジネスをしていく必要があります。
そうすることでチャンスも大きく広がってくるのですから。
当社の場合には、ガソリンバイクの市場があるなら、どこでもやりますが、
やはり大きいのはアジア。
例えばベトナムなら300万台、日本の10倍の市場がありますし、
インド、中国、インドネシアなどは、さらに大きな市場であると言えます。

海外で事業展開をする際にネックとなるのが情報。
誰と組めばいいのかという情報が、とにかく乏しいのです。
今年から海外に進出する私たちにしても、パートナー選びのための情報収集と、
その後にどのようにして決めるかが本当に大変で、そこがリスク要因です。

日本でのパートナー販売

パートナーとの関係については、日本においても簡単ではありません。
日本は日本で新しいものを取り入れるマインドが少ない、
要は保守的なのでそれなりの苦労があります。
特に私たちのようなベンチャー企業が、新しい市場を切り拓いていく事は大変です。

当社の商品はパートナーに販売してもらっているので、
パートナーになる人が、新しい商品で新しい市場を切り拓いていくという
やる気があるかどうかが重要です。
それに加え、お客様のニーズや要望をしっかりと聞いて拾ってくることも必要です。
日本でのパートナー選びは、同じ思いやビジョンを持つ「同志」を見つけ、
信頼関係を築いていくところから始めています。

学生へのメッセージ

起業を考えているなら、もっと大きく物事を捉え、考えてください。
ちょっとアプリをやって儲けよう、というのは駄目だと思います。
それが次の事業を展開していくための手段ならいいのですが、
それだけで終わってしまうようではいけません。
もっと大きなことを目指し、目線を高くして進んでいきましょう。

そして「何のために会社をやるのか」も大事。
お金を儲けたい、異性にモテたいだけでは、会社は大きくなりません。
何のために起業をするのか、そこに社会の課題が入っているべきなのです。
例えば私の場合、メガベンチャーを目指しているのは「日本再建」のため。
起業するにあたっては、自分の得意なこと、やりたいことに加えて、
いかに社会の課題を解決するかも考えてほしいと思います。

日本メディカル株式会社 代表取締役社長 野村 大介

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代表取締役社長 野村 大介

代表取締役社長 野村 大介

設立 2008年9月
事業内容
  • 医師・看護師・薬剤師・介護職の人材紹介サービス
会社HP http://www.japanmedical.jp/index.html

新卒で起業。一度は断念するも2社目で現サービス立ち上げ

大学時代は、営業職のアルバイトをしていました。
それなりの自信が身につくレベルだったので、大学4年生で就職活動が始まる頃には、
様々な葛藤がありました。
周りの学生と同じように就職活動をして企業に就職すべきなのか、
せっかく営業のスキルを身につけたのだから、それを活かすべきではないのか、と。
悩んだ末に出した結論は、起業して成功を目指すこと。
その時に設立した会社は2~3年で事業譲渡をして、私の手を離れました。

その後、数年ほどベンチャー企業に勤務。
そこで出会った3人の仲間と、共に仕事をして理解を深めていくうちに、
「もう一度起業をしたい」という気持ちが強くなっていきました。
リベンジとも言える気持ちが湧きあがってきたのは、
「何のために会社を興し、何のために仕事をするのか」という部分が、
私の中で明確になったからなのです。
最初の起業は、「会社を立ち上げること」が目標になってしまっていて、
何をするのか、目的は何なのかを考えていませんでした。
しかし2回目の起業では、世の中に足りないこと、求められていることを見い出し、
それに応じたサービスを提供したいという、明確な目標ができたのです。

医療系の人材紹介サービスを多岐にわたって展開

私たちは『看護師が満足して働いていない』という、社会の現状に焦点を当てました。
転職や就職を望む看護師や、人手不足に悩む病院側のかけ橋になりたいと思い、
まずは『ナースナビ』を立ち上げて、サービスの提供を始めました。

現在では、医師に特化した人材紹介サービス「クリックジョブ医師」、
看護師専門の「クリックジョブ看護」、「JMナースバンク」、薬剤師専門「クリックジョブ薬剤師」、
介護職向けには「クリックジョブ介護」など、多方面へ展開しています。

特に2012年末にスタートした「クリックジョブ介護」は、当社の新しい強みになると考えています。
看護師の人材紹介サービスは、大手から中小まで多くの会社がありますが、
介護職の紹介に関しては、社会情勢を考えても、
これからますます介護職の需要が高まるのは必至なので、
この分野でナンバーワンを狙って、展開を進めていこうと考えています。

組織として成長し、利益を伸ばしていくための取り組み

5期目を迎えた当社は、新たなフェーズに入ったと感じています。
これまではメンバーそれぞれが営業を頑張って、会社が成長してきましたが、
現在は営業力だけではなく、オペレーションも必要になってきました。
サッカーで例えると、何人かのフォワードが点を取って勝つのではなく、
チームサッカーで勝ちを狙っていくということです。
パワープレーで点数を取るのは限界があって、1、2回戦では勝つことができても、
決勝リーグを勝ち残ることは難しいのです。

そのために様々な取り組みをしていますが、その一つがエリア担当制にしたこと。
それまでは看護師担当、医師担当、介護職担当と分けていましたが、
これを東京、千葉、埼玉、神奈川といった、地域ごとの担当制に変更。
「このエリアの医療機関、施設については、当社が一番よく知っている」とアピールし、
医療のコンサルタントとして、サービス提供を行っています。
社内的にも、あちらこちらと地域を移動して営業をするよりも、
地域を絞り込む方が効率が良いというメリットもあります。
また、実際にもそれぞれの担当者に責任が生まれ、より専門性が高まっていくという相乗効果も期待できます。

データベースの構築を本格スタート

チームプレー確立のための新しい取り組みとして、徹底的に力を入れ始めたのが、
顧客管理のデータベース構築。
営業担当者が、医師、看護師、介護職などの情報をしっかりと入力し、
「○○病院の情報」として蓄積。
そうしておくと入ってきたばかりの社員でも、すぐに情報が把握できます。

また、顧客の情報だけではなく、仕事に必要な知識の共有もデータベースで行っています。
当社の仕事は、医師にも看護師にも介護職にも関わるので、
相当な量の専門知識が必要とされます。
もちろん社内で勉強会を開いてはいますが、それだけではなかなか追いつかないのが現状。
そこで、徹底的に勉強をして知識を身につけ、
データベースを介して、皆にそれを伝えています。
データベースの書式や入力の仕方、フォーマットなどを共通言語にすれば、
全員が確実に共有できますし、都度アップグレードをするのも簡単です。

医療、介護分野におけるイノベータ―になる、名古屋への再進出

当社が掲げている目標は、8期目に営業担当を37~38人体制までもっていくことです。
5期目である今年を経て6期目7期目8期目と、
これまでのペースで成長していけば達成できる体制だと考えています。

また、数年のうちに名古屋に事業所を設立したいという気持ちもあります。
実は2010年に一度は名古屋に進出したのですが、約1年ほどで撤退した苦い経験があるのです。
振り返ってみると、当時は東京・大阪・名古屋の3拠点が成り立つレベルには、
会社自体が到達していませんでした。
仕組み、管理など、名古屋まで手が届くまでには整っていなかったのです。

これから数年で、当時は不十分だった部分を整え、再び名古屋に出るつもりです。
現在はまだその時期ではないと考え、まずはデータベースの構築、
組織や営業体制の確立に努めています。

学生へのメッセージ

『大いに悩んでください』

目の前に2つの選択肢があったとしたら、どちらを選んでも正解。
大切なのはどちらを選んだのかではなく、本気で悩んだかどうか、
選んだことに自信が持てるほど、時間をかけて考えたかどうかなのです。

だからこそ、時間をたっぷり使える学生時代を大切にして欲しい。
私は人生で一番大切な要素は『時間』だと思っています。

大切なものは何ですかと聞かれると、『金』や『愛』、『社会的地位』など、
人によって様々な答えが出てきます。
これらは、どれも時間を使って得られるものではないでしょうか。
また、人との出会いにも、時間は必要です。

有効に時間を使えるか否かで、何十年後の結果も違ってくるはずです。

株式会社もしも 代表取締役 実藤 裕史

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代表取締役 実藤 裕史

代表取締役 実藤 裕史

設立 2006年6月
事業内容
    • ドロップシッピングサービスプロバイダー事業
    • アフィリエイトサービスプロバイダー事業
    • アフィリエイト教育事業
会社HP http://www.moshimo.com/

売るということへの興味と喜び

 小学校のとき、児童書の『うわさのズッコケ株式会社』という本を読んで、
会社を作るって面白い、将来自分もつくりたいと思ったんです。
大学は商学部に入り、一年生の頃からビジネスアイデアを考え、経営者の話を聞いたりしていました。

 そして三年生になってオイシックスという会社の創業メンバー募集に興味半分で参加した際に、ネットビジネスに魅了されました。
アメリカでは優秀な学生はほぼ全員が起業していて、今後日本にもそういう時代が来ると聞かされ、素直に信じて入社しました。

 はじめは農家でジャガイモをもいだりして、ネットビジネスと関係ない仕事をしていましたが、
のちにウェブサイト作成を任されることになりました。
その際アップしたサイトに注文が入り、全国のお客様が買ってくれるという体験は当時衝撃的でした。

 やはり文化祭で焼きそばを売るとかコンビニでモノを売るのでも、売れたら嬉しいもので。
その感覚をeコマース(訳:電子商取引)はダイレクトに感じられるんです。
購入者の名前もわかり、後にお礼メールもくれる。
そうした喜びをオイシックスで学び、それ以来eコマースの仕事にはまりましたね。

個人の力を広げたい

 個人がネットショップを開くのは実はすごく難しいんです。
メーカーと相談して商品を仕入れなければなりませんし、そのための資金や保管するスペースも必要で、
売れた時はひとつひとつ梱包しなければいけない。
こうした問題を解決しなければ、eコマースは個人には難しいと考えていたとき、
アメリカのドロップシッピングという仕組みを耳にしました。

 それは仕入れや梱包、発送などの面倒な部分を肩代わりしてくれるサービスで、
これなら企業の力を借りずとも個人の力だけで楽にeコマースができるわけです。
これは日本中の人が使いたくなるだろう、広めようと思い、株式会社もしもを設立しました。

 うちの企業理念として【個人の未来を応援する】というものを掲げていて、
特に、個人がインターネットを使って収入を得る手段を提供していきたいと考えています。
今の時代個人が収入を得る手段は企業で働くことがほとんどですが、
子育て中の主婦や、定年退職後の方など、それができない方もいます。
そんな方々にドロップシッピングは最適だと考えています。

 そしてもちろん、そういった個人を応援する理念のもとであれば、
今後は他の事業にも手を伸ばしていきたいと思っています。

個人が収入を得るプラットフォームを支援

 今後の展開としては、【個人の未来を応援する】という理念のもといくつか考えています。
 まずインターネットはブログやツイッターなど、
情報を発信するツールとしてはすごく成熟してきたと思いますが、
収入を得る手段としてはまだまだこれからだと思っています。

例えばたいていのエンジニアやデザイナーの方は企業のなかで働いているので、
クライアントが企業に渡すお金の数分の一しか得られないのが現状です。
そこで、クライアントが直接エンジニアに発注すれば、
クライアントは手間もコストも抑えられて、エンジニアは高いお金がもらえる。
そういった作る人とクライアントを直接繋ぐシステムをクラウドソーシングと呼び、国内外で利用者が増えています。

 また、少し飛躍しますが、いま世の中では3Dプリンタが話題になりはじめ、
個人でも比較的簡単にモノが作れるようになってきています。
そのような流れの中で当社がサポートできることはないか考えています。

個人が収入を得ることを様々な観点から、支援するプラットフォームを作っていきます。

国ごとのお金の価値が、海外進出のカギ

 海外進出も視野に入れて活動しています。
当社の仕組みは個人が収入を得られるようにするものですが、当然それも国の内と外では勝手が違います。

 例えばドロップシッピングでひとつモノを売ると三千円の利益があるという時、
日本人が得る三千円と、バングラディッシュの方が得る三千円はかなり価値が違います。
そうした意味で、世界に目を向けて事業を展開していくことで
先進国と発展途上国の格差を埋めることができればいいと思っています。

 ブログを書いて、そこにグーグルのアドセンス(訳:ウェブサイトの内容に関連のある
ウェブ広告を自動的に配信し、サイト運営者に広告収入を支払うサービス)広告を張って、
1クリックで得られる収入は、日本もバングラディッシュも同じ金額ですが、その収入の価値は全く違います。

その点では発展途上国のほうが、個人が収入を得られるニーズは強いのではないかと思っていて、
国内でしっかりと基盤を作った後に海外に出ていくつもりです。
 個人的なイメージとしては、三年後ぐらいを目処に考えています。
うちの会社だけで行うか、海外の会社と合同でやるかは、そのときの都合で考えると思います。

求める人物像

 うちの会社が欲しい人材は、人間性の良い方です。
ユーザーの喜びを自分の喜びとして感じられるということが大前提です。
その上で必要なスキルは、地頭とコミュニケーション力と、頑張れるかどうかの3つで選考しています。
逆に言うと、この資格を持っている、この知識に詳しい、といった視点ではあまり見ていません。

 うちの社風としてオープンであること、フラットであること、チャレンジを推奨する、ということを大事にしていますが。
当然、ただ自分勝手にやりたいことをやればいいわけではありません。
誰のために、何のために、どういった質問をし、どのような行動を起こすか。それが重要です。

 しかし、例え入社したとき将来設計を全く考えていなくても、
働いている内に色々なアイデアが浮かんできますし、様々なことにチャレンジしていける環境があります。
その辺りは気負わずに、安心して欲しいところです。

株式会社オフィスバスターズ 代表取締役 天野 太郎

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代表取締役 天野 太郎

代表取締役 天野 太郎

設立 2003年(平成15)年6月20日
事業内容
    • オフィス家具、OA機器の買取と販売
    • 環境コンサルティング事業
    • 不動産仲介、各種設置工事、デザイン設計等オフィスのトータルコーディネート
    • 新規商材の開拓および海外への販路拡大
会社HP http://www.officebusters.co.jp/

社長か政治家か

起業を意識し始めたのは中学生のころからです。
性格上、大きな組織の中で決められたことをするよりは、
自分の力で自由にプランを考えて物事を改革していくことに関心がありました。
将来は、会社の社長か、または政治家になりたいと思い、
学生時代はその両方を試してみました。
具体的には、書店の流通などに関連する会社の立ち上げと、政治家の秘書を経験しました。
政治は面白いとは思ったものの、関わる人が多く、人間関係がややこしいものでした。
「自分がやりたいことをどこまでやれるのか」と疑問に感じ、
経営のほうが、より私がやりたいことをやれるという確信を持つようになりました。

ただ、すぐではなく、一歩一歩着実に進んでいくために、
下積みとして一度は企業に勤めてしっかりとビジネスの勉強をしようと、
大学卒業後は商社に入りました。
多くの業種があるなかで商社を選んだのは、単純にビジネスを幅広く学べると思ったためです。
新卒で入社した丸紅では、プラントや電力といった大きな産業を扱う部署が花形でしたが、
プロジェクトが大きいため、なかなか若い社員に責任ある仕事を任せてもらえない環境でした。
また、起業に向けて早く経験を積みたかったので、
敢えて商社のなかでは不人気な事務器部署を希望して
ロシアや中南米、中国といった発展途上国向けにOA機器販売業務に10年ほど携わりました。
そして、ビジネスへのアンテナを国内外で常に張り続けていました。

起業の原点は途上国で言われた一言

丸紅で発展途上国向けにOA機器を販売するなか、
途上国の取引先に「こんな高い新品の商品ではなく、もっと安いものを売ってくれ。
日本には中古で安い製品がゴミになっているらしいじゃないか」と言われることが多々ありました。
たしかに日本では、まだまだ使用できるOA機器がどんどん廃棄され、
電子機器ゴミとして社会問題にもなっていました。
これを途上国で安く売ることができれば、
ビジネスとして成立するし、社会問題の解決にもつながると思いました。
しかし、日本のメーカーや総合商社は新品を製造・販売し、
売上金額を上げていくのが優先で、
新品の販売を妨げるような中古品の販売は構造上、難しい側面がありました。
そこで、既存のシステムのなかでもがくのではなく、
「今こそ起業のタイミング」と、2002年6月に株式会社アトライを創業しました。

アトライでは、コピー機やパソコンなど中古事務機の輸出事業を担い、
翌年、株式会社テンポスバスターズとの共同出資で、株式会社オフィスバスターズを設立しました。

「もったいない」精神を追求

オフィスバスターズが目指すのは、中古のオフィス家具やOA機器を途上国で販売することで、
現在のように先進国と途上国との間の偏りや矛盾をなくすことです。
また、日本国内に目を向けると、大企業と中小企業との間にも偏りがあります。
現在、1%以下の大企業と99%以上の中小企業が存在していますが、
大企業は、OA機器やオフィス家具などの新品商品を新しい状態で廃棄して、
再び新品を購入しています。
一方、中小企業や起業したばかりの会社は、古くなっていく商品を壊れるまで使っている状況です。
にもかかわらず、新商品の開発などは、
その1%以下の大企業向けに設計され、世の中のオフィス需要を喚起しています。
弊社では国内外でのオフィス商品の偏りをなくし、
多くの人が感じている”もったいない”の精神を、
オリジナルのオフィスづくりを通じて、徹底的に追求していきます。
モノが余っている時代だからこそ、いかにモノを大切に使うかが重要です。

オフィスや車などをシェアする「シェアリング」が流行っていますが、
今まさに「リサイクル」・「リユース」の波が来ていると感じています。
贅沢なオフィスを作ったり、
新しいものをどんどん取り入れていくことが世の中のためになるわけではないのです。

「リユースの総合商社」として

私たちの事業の大半は「BtoB」で、法人間の取引としてリユースの促進を目指しています。
例えば、不要になったロレックスの時計をヤフーオークションで売ると、
そのお金は個人の出品者に入ってきますが、
法人の場合、会社のモノを売っても個人の利益にはならず「面倒くさい」と捨てられてしまいます。
そこで私たちが出かけて行って、「リユース」への関心ややる気を高めてもらい、
企業のリユースを促進します。
赴く場所は、オフィスだけでなく、工場やデパート、病院などもターゲットにしていこうと考えています。
また、販売するモノも、オフィス家具だけでなく、
日本でいらなくなったジェットコースターをベトナムに持っていったり、
日本で不要になった重機を中国に売るなど、「リユースの総合商社」として、
既存の枠にとらわれないリユースの促進を実現していく予定です。

BtoBの事業を行うのは、個人を対象にするよりも、高いレベルで大規模に再利用を実現できるからです。

我々が新卒採用をする理由

リユース業界は今後20〜30年後に日本の主要産業になると考えています。
今までは影に隠れていたリサイクル業界は、これから表舞台へ舞い降ります。
その担い手は新卒学生だと考えています。
新卒学生は、長い目で仕事に取り組んでくれ、そして長く働いてくれる。
出来ればリユース文化をワークライフにして欲しいと考えています。
そんな人材を輩出出来ればいいと考えています。

「若いうちに人脈をつくれ」

「リユースの総合商社」を謳うリーディングカンパニーとして、
これから入ってくる若い人には、個性を持った人に来てもらいたいですね。
仕入、販売、卸売と、幅広い職種を事業として続けているので、
いろんな個性を持った人がいてもいい会社だと思っています。
弊社にはリユース・リサイクルという「オンリーワン」の強みがあることで、
すべての社員に“居場所”と“出番”を確保する会社でもあると自負しています。
人はみんな居場所が必要ですが、居場所だけでなく、
「この人でないと」という出番も必要です。
自分なりの個性を発揮しながら、この新しい市場で、何か大きく開拓していく気持ちで挑戦してほしいです。

また、若い皆さんに伝えたいのは、若いうちに人脈を大切にしてほしいということです。
現在、フィリピンに9の店舗をオープンしていますが、フィリピンで事業を開始できたのは、
学生時代の友人関係や日本でフィリピンの留学生を受け入れていたときの縁があったから。
ロシアでのビジネスは、ロシアに留学していた時のコネクションがあったからです。
若い時につくる人脈は、早ければ早いほどいいものとなります。
そして、それがその後の人生のカギになっていくと思います。

オーチアス株式会社 代表取締役 齋藤聡史

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代表取締役 齋藤聡史

代表取締役 齋藤聡史

設立 2008年1月
事業内容
    • ソーラー発電システム等の企画・コンサルタント・設計・企画・販売・施工・アフターメンテナンス
    • ソーラーグッズの企画・開発・販売・ソーラーグッズ専門店SoEneの運営
会社HP http://www.otias-group.co.jp/

小遣いも自分で稼ぐ。養われた独立志向

私は、父も兄も経営者という家庭で育ちました。
そのせいか、自然と幼い頃から自分で稼ぐということが
身についていたように思えます。

例えば、小学校低学年の時。
友達がもらったお年玉が3、4万の時に、僕のお年玉が5千円ということがありました。
たまたま周りに親戚がいなく、親からのお年玉だけだったということなのですが、
負けず嫌いの僕はそれが本当に悔しかったんですね。

家でたこ焼きを作り、遊びにきた友達に1個20円で売りました(笑)
他にも、親に交渉して、浴槽の掃除で1回30円、肩たたき1回で10円など、
お小遣いを自分で稼いだのです。

家が貧しいわけでもなかったので、もしかしたら親が僕の将来を考えて
あえて必要以上にお小遣いを渡さないという方針だったのかもしれないですね。

今思うと、この時から自分のお金は自分で稼ぐしかない!
という強い気持ちが備わったんだなと思っています。

自分の力で誰よりも稼ぐ

起業前の約9年間、エコ家電の訪問販売の営業をしていました。
会社に縛られて、固定給が多いのではなく、
自分でやった結果が、反映される歩合制の訪問販売の仕事を選択したのです。

ここでも負けず嫌いは継続。
約9年間、営業成績トップで、インセンティブを含め月に200万稼いだこともありました。
僕の性分にぴったりの会社ですね(笑)

そして、入社9年目に入った頃、太陽光発電やオール電化が広まり、
半年ほど経験を積んだうえで、「この商材ならいける!」 と思い
現在のオーチアスを設立しました。

当初は、一人で自宅兼事務所からのスタート。
僕は自分自身にどんどんプレッシャーをかけて、頑張れるタイプなので、
ある意味完全歩合でもある起業や社長という生き方は、私にとって究極の形でした。

営業としての顔、社長としての顔

創業時のメンバーは、前職で私が営業をしていた時の同僚でした。
しかし、ここで辛い別れを経験することに。
「営業であり、仲間であった齋藤」と、「経営者の齋藤」に大きな
ギャップが生まれたのだと思います。
私(会社)の変化についていけないメンバーが次々と去っていきました。。。

その後、同僚の採用はやめ、即戦力を求めた中途採用を開始しました。
しかし最近では全社をあげて、新卒採用に力を入れています。
その理由は、企業理念に共感する人財を採用したいと考えたからです。
私に対する先入観もなく、素直に理念やビジョンを共感してくれる新卒の方を
今後も積極的に採用していく予定です。    
企業が長く存続するには、社員が一つの理念を持ち一致団結にする必要があります。
育成コストはかかりますが、中長期的な視野に立った経営戦略です。

全ては理念とビジョン。

設立から数年は、みんながどれだけ稼げるか、歩合などを中心的に見た
経営をしてきました。
しかし、辛い別れや、さまざまな経験を経た、3年程前からは、
全てにおいて、ビジョン、理念に重きを置いています。

会社がいい時だけではなく、悪い時にもどれだけ本気でねばれて、
ふんばれるメンバーがいない限り、ベンチャー企業として勝ち残ったり、
目標である上場への苦しい道のりを共有するのは難しいと考えたんです。

そのためには、お金だけがモチベーションということには無理があるんですね。
ビジョン、理念を徹底的に打ち込んでいますので、
会社全体にそのマインドが浸透しつつあります。                                     

組織創りや理念浸透には大きく力を入れています。 
社章や朝会などでのビジョンの唱和など、小さいことからも組織を固めています。

私の考えやオーチアスのDNAが染み込んだ人財が、将来グループを代表する人財になって欲しいと考えています。

他と違う事を。世界一へ。

弊社は安売り合戦には巻き込まれるつもりはありません。
適正価格を守って販売し、
お客様にも「安さだけを求めるのであれば、他社をあたってほしい」と伝えています。
その分、私たちは付加価値をつけているのです。

例えば、競合他社の多くはショールームを、出したとしても郊外に設けますが、
これに対し、SoEne(ソーエネ) ショップは駅近に拠点をかまえ、
今後、大宮・横浜・品川・新宿・渋谷・六本木・銀座などにも出店を予定しています。

お客様の近くにショールームがあることで、
認知度もあがり、安心感をもっていただけるんですね。

また、年に1回の無料定期点検を一生涯つけています。担当者が生涯つきます。
など、とにかく全てにおいてサービスの質を徹底しているんですよ。
先行投資をすることで拡大し、突き抜けることができると考えているのです。

そして、社員一丸となって、世界一のソーラーカンパニーを目指しています。

誰も見たことの無い景色

ベンチャー企業は、大企業や歴史のある会社に比べれば、
福利厚生が少ない、ボーナスも給料も低い、安定性がない、変化が多い
などと不安な要素はたくさんあるかもしれません。
でも、それ以上にプラスの要素がたくさんあると思います。

一つは、会社が成長していくことで、日々仲間が増え、
後輩も入ってくれば、自分のポジションも急ピッチで上がるんですよ。
もちろんポジションが上がれば当然給料も増えていきます。

人生は一回きり。スリリングに、そして楽しく生きたいと思っている方には、
ベンチャーは最適です。
せっかく生きているなら、人生一回なのだから、将来楽になりたいなら。
という考えが持てる人であれば、ベンチャー企業に向いていると思います。

我々のようなベンチャーは、
同じような景色を見ながら、誰かの作った道を歩くのではなく、
けもの道をかきわけ、傷だらけになりながら、道を創るようなことをしているんです。

誰も通ったことない道を、ルートを創り、そこを歩く。
その道から見える景色は、この世の中の人が誰もみたことのない景色なんです。
それがベンチャー企業だと思います。

決してラクじゃないし、苦しいし、辛いし、タイヘン。。。
ただそれ以上に、満足度とか、達成感とか、感動とか、
圧倒的な喜びを感じることができると思いますよ。

ニューエンパイヤ商事株式会社 代表取締役 吉岡 豪麿

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代表取締役 吉岡 豪麿

代表取締役 吉岡 豪麿

設立 1975年4月
事業内容
    • 各種外車部品輸入卸商
会社HP http://www.new-empire.co.jp/

未知の業界へ

昨年までの約30年間、私は規模もフィールドも、
現在の会社とは全く異なる環境で働いていました。
いわゆる大企業と言われる金融機関で、
国際金融資本市場に関係する仕事をしていたのです。
正直、輸入車部品業界で会社経営に携わることなど
全く想定していませんでした(笑)

我社は、妻の祖父が創設したニューエンパイヤモーターにそのルーツがあります。
社名からイメージされる通り、
日本では極めて稀な独立系の「輸入車部品の専門商社」です。

また、当社が取り扱う外車部品はいわゆる純正品だけではなく、
外車ユーザーのメンテナンスコスト抑制のために、
主要メーカーによる高品質なOEM製品を中心に調達・在庫を行っています。
その上で、国内外に築いてきた強固なネットワークを通じ、
高品質商品を市場に供給できるという点を強みに伸びてきた会社であり、
「輸入車部品のニューエンパイヤ商事」というブランドとしての地位が市場に確立されました。

しかし、かつては高収益を謳歌したこの業界にも(だからこそ)新規参入の増加が加速し、
ダンピングを中心にシェアを奪い合う競争が激化しています。
当然、我社もその熾烈な競争に巻き込まれることとなりましたが、
そうした急速かつ激しい変化への対応が適切に行われておらず、業績は悪化を続けていたのです。

私が当社の代表に就任した最大の理由は、
元代表であった妻の伯父が他界した後、
既述の急速な環境変化に適応できなかった当社の経営を
根本的に再建するためだったと言えるでしょう。

ただ、ほぼ半世紀の間全くブレの無い当社の企業理念を、私は高く評価しています。
「信頼される部品供給を通じ、外車ユーザーの満足を追求」
ダンピング激化で粗悪品も出回る中、
自社の利益だけではなくユーザーの満足を最優先に考え、
一貫して品質に絶対の自信がもてる商品だけを市場に安定供給し続けてきたのです。

これは「ブランドは信頼によって築かれる」ことの証。
経営者として常に肝に銘じています。

中小企業のダイナミズム

金融業界から当社への転身には、門外漢であるがゆえに相当の困難が伴いました。
ただ、幸いにも私の長年にわたるキャリアは、
グローバルなマクロ経済や金融資本市場のみならず、
個別の企業や経営者を分析・評価し将来を予測するというものでした。
このキャリアを活かした新たな挑戦の場、それが当社の経営再建だったのです。

経験上、大企業と中小企業の決定的な違いは「施策の計画策定⇒実行」までのスピードです。
大企業では、トップダウンにしろボトムアップにしろ規模の問題からどうしても時間がかかりますが、
中小企業では、ほぼダイレクトに「意思決定⇒計画策定⇒実行」が進行します。
この即時反映のダイナミズムこそが、中小企業にしかない極めて重要な成長要素なのです。

私は、このダイナミズムを活用した「当社の再生」に半端ない情熱と覚悟を注いでいます。
この情熱と志こそが、
ベンチャーではない当社がこのサイトに掲載される理由なのかもしれませんね(笑)

危機感、やる気、情熱

当社に入社直後から強く感じたことは意識改革の必要性でした。
過去の栄光に満ちた時期を経験した社員が多かっただけに、
正確な現状認識と環境変化に適応した行動計画が必要だったのです。

まず、私は全社員の人となりを把握することに努めました。
社内での面談だけでなく、
ランチや飲み会に出かけるなど膝詰めのコミュニケーションを徹底し、
社員一人一人の属性に合わせた意識改革を行おうと。

こうした社員との触れ合いの中で強く感じた事の一つに「危機感」の履き違えがあります。
誰もが「今のままではいけないという危機感」を抱いてはいるものの、
「何をしていいのかわからない」と訴えていました。

しかし、それは本当の「危機感」ではなく、
ただの「不安感」でしかないと私は考えています。
本当の「危機感」とは、現状の打開のため自分がなすべき事を正確に把握し、
それに不足している部分を埋めようとする意識の事だと思うのです。

さらに、全員が「やる気がある」と言うのに、
そこには「本気」があまり感じられませんでした。
それは、やるべき事の正確な理解と情熱(覚悟)が欠けていたからです。
最終的に、人を行動に駆り立てるのは「情熱」だと私は信じています。
それがどれだけ強いか(熱いか)の問題。
そこには学歴も資格も知識も全く関係ない。
本当にやるべき事を、煮えたぎるほどの情熱を持って、やり抜く。
それだけです。

現在では、こうした本当の「危機感」「やる気」「情熱」を全社員が共有しており、
当社の事業計画に沿った個人毎の行動計画を、
着実にPDCAサイクルに乗せて実行しています。

業界に新風を

輸入車の部品には、大きな車体フレームから小さなビスに至るまで全てに番号が振られています。
それは車種によっても異なり、共用できない部品も少なくはない為、膨大な数に上るのです。
車の修理工場では、まずお客様が調子の悪い部分を相談し、その修繕に必要な部品を判断。
そして、その部品番号の検索も含めて、部品商に見積り・発注するというプロセスが踏まれます。
そのため、実際の修理に至るまでの間には相応の時間かかりますし、
部品番号の検索にはかなりのスキルが必要です。

また、輸入車の質が飛躍的に向上し壊れにくくなった事、
外車ディーラーによる包括サービスが充実してきている事などの理由により、
輸入車ユーザーおよび修理工場のニーズが大きく変化しつつある環境に疑問の余地はありません。

一方、長い間かつての弊社を含めた当業界は、
上述の非効率な業務プロセス(ビジネスモデル) と 近年変化が加速する市場ニーズへの適応に対して
抜本的な見直し・対応をあまり行なってきませんでした。

この点は、当業界の今後の課題であると同時に、当社が再生し飛躍する大きなチャンス。
この好機を捉え、当社はこの旧態依然とした業界に新風を吹き込んでゆく所存です。

まずは、ニーズ発生後の見積りを待つ「受動型営業」から、
新規車種対応部品を中心に、今後ニーズが高まってくる商品を包括的に提供する
「情報提案型営業」への変革。
さらには、スキルを要する部品検索を一つのビジネスとして切り分けた上で、
webシステム経由の効率的な受注シェアを向上させてゆくことなどが必要です。

この際、当社が持つ以下の強みが最大限に活用できると確信しています。
◎業界のパイオニアとしての地位/ブランドを背景に、内外に強固な情報ネットワークを確立
◎業界に先駆け、webを通じた「情報発信/在庫確認/受注」システムを保有

紙幅の関係からポイントのみに止めますが、さらに今後のビジョンとして以下に注力してゆきます。
◎商社機能の拡充 :強固な海外ネットワークのフル活用
・輸出業務(一部開始)
・乗用車以外(商用車/二輪車/自転車 等)への取扱商材の拡大(一部開始)
・移動用機器/部品とは全く関係ない商材の輸出入(長期的ビジョン)

成長と夢の実現へ

これまでご案内してきた通り、輸入車部品業界は今後一大変革期を迎えます。
大きな環境変化は、アイ・パッション社が掲げる
「ヒトの成長を実現し、ヒトの夢を叶える」
絶好のチャンス。
また、当社にはこのチャンスを活かす可能性が大きく広がっています。

先述しましたが、大企業には組織の肥大に伴う非効率性が存在します。
それを是とせず、中小企業固有のダイナミズムの中で「自己を成長させたい人」、
成長の過程で、煮えたぎるほどの情熱を注げる「夢を持ち、その実現に邁進できる人」。
そんな若者を当社は求めており、
一人一人の成長と夢の実現をサポートしたいと思います。

株式会社日本レーザー 代表取締役 近藤宣之

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代表取締役 近藤宣之

代表取締役 近藤宣之

設立 昭和43年
事業内容
    • レーザー、光学機器輸入販売
    • 自社ブランドシステムの開発販売
会社HP http://www.japanlaser.co.jp/Default.aspx

「進化した日本的経営」

これからの時代に、世界に通じる経営理念と方針は
「進化した日本的経営」
なのだと私は考えています。

少し、現在の日本企業が持つ印象を思い浮かべてみてください。
そこには、「肩たたき」や「ブラック企業」、
あるいは悪い意味での「早期退職制度」といった、
マイナスの言葉が当たり前のように存在するのではないでしょうか。
資本主義の名のもとに、企業側は勿論、社員でさえも悪い現状を受け入れてしまっている、
そこに原因があるのだと思います。
しかし、それではいけない。
私は、その様なマイナスの印象が一般的になってしまっている風潮に異議を唱えたいのです。

そこで伝えていきたいものが、
最初に述べた「進化した日本的経営」。
マイナスの印象を払拭し、より良い新しいビジネスモデルとして我が社が行う、
この経営を提示していこうと考えているのです。

では、「進化した日本的経営」とは何なのでしょうか。
これに触れる前に、現在までの我が社の成り立ちをお話ししましょう。

事業再建に携わり続ける

私はもともと、
セールスエンジニアとして世界を飛び歩いて活躍したいという夢を持っていました。
その夢をもって就職した先は日本電子という会社。
当初我が社はこの子会社という立場だったのです。

そこでは技術販促も行う、電子顕微鏡の応用研究室へ配属。
しばらくして日本電子労働組合の執行委員長になり、
社内の労使関係の民主化に尽力しました。
委員長退任後は英語に苦労しながらもアメリカへ。
本社取締役米国総支配人の経験を経て帰国し、
国内営業担当役員として働く事になります。

日本で、そしてアメリカで。
世界を駆ける仕事の中、数度の事業再建を行ってきた私は、
それに伴って泥臭い仕事を行ってきました。
それは「リストラ」というもの。
人の人生を左右する、泥臭い仕事に様々な事を考えさせられていた、
そんな時に私が行う次の業務が決定したのでした。

言い渡された内容は、日本レーザーの再建。
言うまでもなく、この仕事が今の私へ直接つながるものとなっていくのです。

リストラはしない

バブル崩壊と共に業績が悪化。
債務超過に追われた日本レーザーを救うという事が私の仕事となりました。
債務超過という事はゼロどころではなく
マイナスからのスタートに他なりません。
しかし、そんな環境であっても
「なんで私が」
とは思いませんでしたね。
「新しいチャンスだ。」
これが私の想いに他なりませんでした。

責任を引き受ける意味で、
日本レーザーの株を額面で買い、自らが行動に出る事から始めました。
そして、社員の意識改革に尽力。
さらにその中での約束
「リストラはしない」
という事を掲げたのです。
その甲斐あってか、初年度から経営は黒字へと回復しました。

しかし私は、まだ足りていないと感じていたのです。
二年目になり、私が下した決断は
本社へ戻る選択肢を絶つという事でした。
役員の座を放棄し、この日本レーザーを立て直す覚悟を社員に伝えたのです。
私のこの姿勢に、社員はついてきてくれました。
社内の士気は上がり、日本電子から株を買い取り独立するまでに至ったのです。

生涯雇用と差別の払拭

この様にして立ち上がった我が社ですが、
最初にも述べた通り
「進化した日本的経営」
という物を掲げ、動いています。
その経営を構成するいくつかの要素を説明していきましょう。

まずは、独立の経緯でも出てきた「リストラはしない」という事。
これにより生涯雇用を実現しようと考えています。
既にあった日本的経営を駄目にしてしまった要素に、
「辞めたくない人を辞めさせた」
というものがあるのだと私は考えています。
これに対し、我が社では辞めたい人は止めないが、
辞めたくないと意思を持っている人を辞めさせることは絶対にしない
という約束をしているのです。
既に、定年を超えての70歳までの就業をも実現しています。

しかし、それでは年配者で社が構成されてしまうのではと考えられるでしょう。
しかし、我社の人事制度は、完全な能力、業績、理念主義というもの。
年齢に関わらず、そこには一切の差別を設けません。
さらに、性別や学歴、国籍などの面でも完全にフェアなのです。
これによって、現在管理職の3割が女性という現状があります。

人材の多様さ

先述した2つの要素に続き、
挙げられる要素が人材の多様さです。
博士・修士などの高学歴者、海外留学経験者、
高齢者、障害者、女性、中国籍の留学生等々、
他の企業では異質ないろいろな経歴の人材。
この様な人材が集まる事で、組織風土の活性化を狙えるのです。
これも、2つ目の要素を反映した結果だと言えるでしょう。
差別がない環境。
完全な実力主義という環境。
これが実現できているからこそ、
達成できている要素とも言えるのではないでしょうか。

ここまで見てきた三つの要素。
これを総じて「進化した日本的経営」と表現しています。
完全にフェアな状態で行われる為のこれらの要素は、
例えば報酬などにも影響してきます。
フェアであるという事は、当人が納得できるという事。
それならばと仕事に対する報酬の取り分を、
話し合いの場で決定するといったアナログな方法を取っているのです。
これならば確実に納得が得られ、フェアになるのです。

今挙げたものは3要素からなる一例となります。
その根本となる「進化した日本的経営」を全国へ、世界へ広げる事が、
私たちの目標なのです。

問題は自分の中に

問題にぶつかるという事は、誰にでも起こりうるもの。
しかし、それに対しどう向き合うかという事は人それぞれなのだと感じます。
多くの人はその問題の原因を自分の外に求めてしまう。
「20年早く生まれていればいい就職が……。」
学生の皆さんは、その様に考えていないでしょうか。
しかし、本当に起きている問題は時代のせいだけではないでしょう。

私自身、事業再建の中で肌で感じたことなのですが、
事業が上手くいかない原因というのは、
大抵社の中にあります。
外の原因をいくらなくそうとしても、根本が解決できないのでは無意味なのです。

そして、それはそのまま人にも当てはまるのでしょう。
つまり、「問題は全て自分の中にある」。
なにかうまくいかない事があったとして、
その改善を外に向けてしまってはいけません。
上手くいく方法は、自分自身を見る事に他ならないのです。
望まない就職があったとして、それを良い就職に変えられるかは自分次第。
全力を尽くしても望めない状況に陥った時、
初めて外を見るようにしても遅くはないのです。


株式会社グッドフェローズ  代表取締役社長 長尾泰広

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代表取締役社長 長尾泰広

代表取締役社長 長尾泰広

設立 2009年3月6日
事業内容
会社HP http://www.goodfellows.co.jp/

転職を繰り返して気づいたこと

「何かを成し遂げたい」
――10代のころは、漠然とそう思いながらも
実際に何をすればいいのか分かりませんでした。
高校卒業後、映画監督になろうと大阪の専門学校に通いましたが、
自分よりずっと才能がある人たちを見て、
1年であきらめて富山に戻ったこともあります。
昔から勝てる勝負にしか全力を出せない人間だったので(笑)
運動音痴が、イチローに野球で勝てないじゃないですか。
つまり会社を立ち上げるまでの僕は、
自分が勝てる可能性があり、
且つ、使命感を持って、全力で打ち込めることや、理想の環境を、
ずっと探していた気がします。
専門学校をやめてからも、
工場で3勤交代のバイトをしたり、
21歳で地元の大学に入ったりしながら彷徨ってましたが、
結局答えは出ずじまい。
そのまま何となく社会に出て、営業職につきました。
負けず嫌いの性格も手伝って、
トップクラスの成績を残すなど、それなりに結果は出してましたが、
これは自分のやる事ではない、自分の理想の環境ではないと思うと
迷わず辞めては転職を繰り返してました。
そのなかで感じたのは、
「理想の環境は自分でしかつくれない」
ということです。
そこで、2009年3月、
前職でのITのノウハウを活かして
高校時代の同級生と前職の仲間とともに、
完全ノープラン、勢いだけで
(株)グッドフェローズを設立しました。
「理想の環境」は確保できたので、
残る課題は、「使命感のある仕事」でした。

使命感ある仕事との出会い

使命感を持って打ち込めることを日々考え、出た結論が
ITを活用した再生可能エネルギー業界への参入でした。
その中で最初に選んだのは、
国や県など行政から補助金が支給され、
急成長の兆しを見せていた太陽光発電です。
成功するかは未知数でしたが、
前々職で太陽光をかじっていた事や
前職でのIT業界での経験が生かせるのではないと考えたのです。
また、昔から地球温暖化問題の解決に自分ができることは何かないか、
と考えていた事も
決断を後押ししてくれました。
太陽光発電は、
原発問題もあり今でこそずいぶん注目されるようになりましたが、
当時は訪問販売が主流で、
中には法外な値段で売る悪徳業者も多く、
まだまだオープンではありませんでした。
そこで、ユーザーが各販売企業の見積りやサービスを比較検討できるサイトがあれば、
業界改善に繋がるのではと思い、
価格比較サイト「タイナビ」を立ち上げました。
結果、価格の適正化に大きく貢献できたと実感しております。
先日も訪問販売で契約したエンドユーザー様からご相談の電話があったのですが、
契約金額を聞くと法外な金額だったので、
適正相場をお伝えするとショックを受けられてましたね。
クーリングオフ期間だったのが幸いで、
とても感謝して頂きました。

IT×リアルビジネスで独自のポジションを確立

タイナビは、ユーザーだけでなく、
販売企業様にとても必要とされるサイトになっていると実感しております。
タイナビが生まれるまでの業界は、
訪問販売か電話セールスが主流で、
“宝探し”みたいな営業スタイルでした。
その点、タイナビでは顧客リストが自動的に手元に送られてくるため、
購入見込み客を獲得する上で
非常に強力な集客ツールとなります。
「効率的な営業スタイルに変えることができた」
と多くの企業様からご支持頂くことができ、
今では全国500社の企業様にご登録頂いている
国内NO1のサイトまで成長しました。
また、500社の企業との繋がりを生かし、
当社では太陽光発電システムとその周辺機器の卸販売を行っております。
自社内にはCADを使ってシステム設計ができるスタッフも在中しており、
設計、見積、機器の提供までワンストップでサービスを提供しております。
太陽光発電は深い専門知識を必要とする業界なので、
卸事業を始めた当初は、
「単なるネット広告屋」という対応をされ、
悔しい思いをしたことも多々ありました。
ただ、自分達の知識のなさを真摯に受け止め、
時には作業着を着て施工現場スタッフとして1日体験をさせて頂き、
部材の一つ一つを覚えていく中で、徐々に知識もつき、
少しずつ「業界人」として認めて頂けるようになりました。
そして、今ではIT(顧客集客)×リアルビジネス(システム機器提供)という
独自のポジションを確立していると自負しています。

IT×リアルビジネスにて次世代エネルギーへのシフトチェンジを

(株)グッドフェローズの目指すところは、
「インターネットを通じたエネルギー革命の実現」 です。
再生可能エネルギー業界は
今後も成長分野だと確信しています。
その中で、今のポジションを確立しつつ、
風力や地熱、蓄電池、HEMS、リフォーム、不動産業界などに参入し、
地球環境への貢献を目指していきます。

キーワードはやはり、
IT×リアルビジネスです。
当社は基本、IT企業ですが、
常にウェブサイトをプラットフォームとした、
リアルビジネスを意識しています。
先ほども言いましたが、リアルに精通することによって、
「ネット業者」から「業界人」に生まれ変われると思っています。
そういう意味で今後は、
自然エネルギーを中心とした環境業界各分野のエキスパートとなり、
最終的には包括的な意味合いでの再生可能エネルギー業界の旗手になるのが目標です。

気のいい仲間たちと最高の仕事を

スタッフは現在、僕が心から誇りに思っている精鋭18名。
仲間と立ち上げた会社ですが、
“仲良しこよし” のなれ合った関係ではなく、
常に本気で意見をぶつけ合い、一人一人が責任感を持ち、自ら考え、
自主的に仕事に取り組んでいます。

「気のいい仲間たちと最高の仕事を」。
グッドフェローズという社名はそんな想いが込められています。
人生の大半を仕事に費やすのであれば、
「仕事を楽しむ」を大事にしたい。
そのためには、「いかに儲かるか」ではなく、
「誰と仕事をするか」が大事と考えています。
そのため、当社の採用基準の9割は
「この人と働きたいかどうか」です。
取引先に関しても
「この担当者と仕事したい」「この会社と付きたいたい」
を重要視します。
結果、仕事を楽しむことができ、
新しい価値観、社会的価値の創造に繋がると信じています。

おかげさまで、前期売上は前年度比で500%成長を達成することができましたが、
最大の要因はこのスピリットを大切にしてきたからだと思っています。

目の前のことを一生懸命やれば役割がみつかる

事業拡大にあたり、
現在、営業職、エンジニア、デザイナー、管理系の人材を募集しています。
経験は必要ですが、採用の基本は人物重視。
能力よりもむしろ、
向上心やポテンシャルがあり、
当社の社風に共感できる方を求めています。
当社のようなベンチャー企業では、
一人一人が担当する業務内容は幅広く、
成長していける環境が整っています。
また役職というポジションをゲットできるチャンスもたくさんあります。

ベンチャーで成長したいという人には、
最適な環境だと思いますよ。

株式会社やまひら 代表取締役 平井里枝

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代表取締役 平井里枝

代表取締役 平井里枝

設立 平成7年
事業内容
    • 化粧品製造販売業
    • 医薬部外品製造販売業
会社HP http://www.yamahira.co.jp

元々、起業をしたいと考えたことはなかった。

私は一般の家庭で育ったこともあるのか、
将来経営者になろうとか、
化粧品の会社を立ち上げて化粧品を売りたいなどとは
全く考えていませんでしたね。

小さい頃は比較的、神経質な子供で、
お店で売られている食べ物は、
私にとっては食べにくいものばかりでした。
現在ほど綺麗なお店も少なかったので、
お店の埃なんかがあまり心地の良いものではありませんでしたね。

主婦になってからも、私がそのような環境で育ったので、
家族には安全な物を食べてもらうことを意識していました。
そのため、私自身は食や健康にすごく関心を持っていたのです。
特に口に入れるものは、ほとんど手作りで生活していました。

化粧品についても、
身体に気を遣って「自然派」と謳われるような化粧品を使っていましたね。
化粧品メーカーのキャッチコピーをそのまま信じて使用していたのです。

しかし、お肌が全然潤わず、自分の肌には馴染まないものが大半でした。
肌に良い物をすごく探しましたが、
中々見つからず、
化粧品メーカーが販売している化粧品に対して、
次第に疑問が生まれたのです。

そこから、化粧品を自分で勉強し始めました。
ある化粧品専門家の方の講演会に参加する他、
化粧品やお肌についての本を100冊程ほど読みましたね。

さまざま調べた結果、化粧品についてある1つの本質に辿り着く。

しばらく勉強を重ねた結果、ある答えに行き着くのです。

それは、化粧品においては肌への「水分」が最も重要な要素だということです。

実は、化粧品に含まれる水分以外の成分は、肌に馴染まないものだったのです。

通常、化粧水は精製水が使われており、すぐに蒸発する性質を持っています。
それを防ぐ為に乳液やクリームで肌に蓋をする、というのが一般的です。
しかし乳液やクリームは、肌荒れを引き起こす合成界面活性剤を使用する必要があります。

自分がひどい乾燥肌だったのは、
化粧品メーカーのアドバイス通り、何種類もの化粧品を使い、
しかもそれらが合成界面活性剤が配合されていたものでした。
水分こそが肌にとって重要であると気づいた時、
やはり自分の乾燥肌は、肌に不必要な物を何年も使い続けた結果だったのだと、
とても納得できました。

そのため、私は自分用の化粧水を手作りするようになりました。

次第に私の肌を見た知り合いに
「どこの化粧品使っているのですか?」と聞かれるようになり、
私のオリジナルの化粧水を分けてあげるようになりました。
そこがこの事業の原点になります。

私のオリジナル化粧水の評判が広まり、
その評判に押される形で法人化することを決めました。

インターネット販売の初期に参入し、化粧品カテゴリで1位を獲得する。

初めは少量を自分で作って、
地域のフリーペーパーなどに広告を掲載して販売していました。

ちょうどその頃、インターネットが着々と普及していた時期で、
インターネットでの化粧水販売を考えたのです。

今では考えられませんが、当時のインターネットショッピングサイトでは
アトピーやニキビの化粧品カテゴリで1位を記録していました。

インターネットでの販売への参入は、
大手の化粧品メーカーよりも早かったと思います。
大手では、社内での企画から販売までとても時間が掛かりますからね。

そのため最初は、宣伝費や広告費など一切使わずに販売できました。
現在ではやや厳しいのですが、
他の化粧品メーカーが参入していない時期にインターネットで販売できたことは、
大きなアドバンテージでした。

インターネットの時代だからこそ、直接顔を合わせることに意味がある。

今後はインターネットだけではなく、
商品説明会などを実施していきたいと思います。
自分自身が実際に商品の説明を行うのです。

薬事法の関係もあり、インターネットでは伝えられないこともあります。
それに、化粧品を使う側も、
直接説明を聞くことで安心も出来ると思うのです。

どちらかと言うと、化粧品より健康面の方が
生協を立ち上げたり、「漢方と健康を考える会」を主宰していた関係で詳しくなっていますので、
化粧品の販売だけでなく、
健康知識などの面でお客様のサポートしたいと考えています。

皮膚は、内臓の鏡といわれているように、
身体の内側から綺麗にすることが大切です。

特にアトピーの症状は、
腸や肺を丈夫にすることで肌を綺麗にすることができます。
また、なるべく手作りの食生活を意識するなど、
アドバイスして行きたいと思います。

アトピーなど、肌が荒れがちな方は食生活も上手くいっていないことが多いのです。
私たちの身体は、自分が口にしたもので作られています。
ですので、食事は大切です。

今後は、例えば私達と同じようなコンセプトの店舗のスペースを借りて、
私達が出向いて相談会などをしたいと考えています。
私自身だけでなく、
スタッフの人にもやってもらいたいと思います。

経済的自立を目指してほしい。

女性向けのメッセージになりますが、
やはり結婚しても配偶者に頼っていても、
いつどうなるかは分かりません。
ですので、どんな状況になっても自分一人で生活できるようにしてほしいと思います。

一人になったときの支えは、精神的なものではなく、経済的なものです。

私自身も専業主婦でしたが、
10年後20年後、どうなるのだろうかといつも思っていましたから。
精神面は何とかなります。
何度も言いますが、最も不安なのは経済力です。

男性の場合は、誰かに頼らず自分で生きて行こうと思う方が多いと思います。
しかし女性は、誰かに頼りがちな部分があります。
でもその先どうなるかは、本当に分かりません。

もしもの状況の時に、生計を立てる手段がないと困りますよね。

年を重ねると、どこもかしこも雇ってくれるとは限りません。
年金などに頼って生活するのではなく、
経済的に自立できることが大切ですね。

株式会社ネットワークコンサルティング 代表 太田源太郎

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代表 太田源太郎

代表 太田源太郎

設立 2011年1月31日
事業内容
    • 情報通信サービス事業/インターネットサービス事業
    • MVNE事業/MVNO事業
    • コンテンツ事業
    • プロダクト事業
    • WEBコンサルティング事業等
会社HP http://www.nwcs.co.jp

メーカー兼サポート業として

2011年に設立した当社は現在、
おかげさまで弊社の売り上げは右肩上がりとなっております。
(売上高:第1期目33億円、第2期目69億円、第3期目予測103億円)
その数値はお取引先様とお客様から得られた支持だと考えていますね。
負けず嫌いが揃っているおかげか、
「てっぺん取りたいよね」という意識が強く、
そこで得られた結果なのかもしれません。
その意識自体をより広げていく事も、今後の目標の一つとなるでしょう。

今後も成長していく中で、
現行のサービスの枠を超えて、お客様の満足を得るという事を考えていかなくてはなりません。
こういう業種だからこの仕事、というように縛られてしまうのではなく、
様々な事に打って出ていこうと考えているのです。

それを形にした例としては、
自社モデルのモバイルルーター(商品名:mobile cube、mobile slim)の提供などがあります。
これによって、メーカーとしての機能をも兼ね備え、
サポート事業と共に展開していく事が出来るのです。
そしてここには、女性社員の力が加わっています。
デザインや、説明書の工夫等、女性ならではの視点が大きく生かされ、
2年連続でグッドデザイン賞の獲得という活躍を見せる事も出来ています。
様々な強みを生かしながら、今後の成長に結び付けていきたいですね。

本気で思うから達成できる

弊社は、インターネット通信をお客様に快適に使ってほしいという想いを根幹としています。
昨今、快適なインターネット環境とは言われながら、
それに至るまでが複雑化しているのが現実です。
しかし、それでは本末転倒。
“快適の為に簡単に。快適かつ簡単に。”
それを実現させ、お客様の要望に応える事が出来るという事。
それが弊社の強みの一つにもつながっているのです。
今述べた「お客様の要望に応える」という事。
私はそれを、「月に行く」という表現を用いて例えるようにしています。
人間が集まって本気で解決しようと思ったら、出来ない事はほとんどないという考えが、私にはあります。
「月に行きたい」と本気で思うからその方法を考える。
そして事実、人間はそれを達成できるのです。
同じように何かをしたいと願うお客様がいて、それを叶えたいという我々がいる。
そうすれば、自ずとゴールは見えてくるもの。
目標を目指す事が、到達を実現できてしまうのです。
つまり、お客様の要望を聞き、何を求めているのかを知るという事が、
直接「お客様の要望に応える」事となります。

通信業界のイメージを変える

「お客様の満足を得るにはどうすればよいのか」ということ。
その答えとして、「一つに特化した会社を作ろう」という考えがあったために弊社が生まれました。
一つの事業体を会社としたものであり、
通信という業界での活躍を期待された会社となっているのです。

さて、この通信という業界に皆さんはどの様なイメージをもつでしょうか。
その一般的なイメージと少々異なる部分を弊社は持ち合わせていると考えています。
通信という事業でありながら女性社員が中心。
この様な、この通信業界ではなかなか見ない人材が弊社の特徴の一つと言えるでしょう。
女性ならではの力が、あるいは男性には中々身に付かない力が弊社の強みとなっているのです。

お客様が弊社に求めている質や量、スピード。
これを上回った分が多ければ多いほど、評価につながる。
そう考える弊社にとって、女性が持つ力というのは、とても有効な物となっているのです。

弊社の特徴“女性ならではの力”

では、先述した女性の持つ力についてお話ししましょう。
お客様を相手にした時、第一に求められるのは相手の本心を知る力となります。
相手の胸の内にすっと入り込んで、本心を引き出していく。
それに必要なのは「心配り」なのではないかと私は考えているのです。

たとえば「お客様にお茶を出しておいて」という指示。
これに対し、男性はお茶を出して「出しました」と報告する。
間違ってはいないのですが、
女性が同じ指示を受けた場合は異なる心配りを見せる事が多いのです。
「温かいお茶と冷たいお茶、どちらがよろしいでしょうか」
この一言を、お客様に出来るかどうか。
当然、全ての男性女性に当てはまる事ではないですが、
これが出来る率が、女性の方が多いと実感しています。

また、男性に比べ、負けず嫌いな性格をもつ人間が多いというのも理由の一つです。
認められたいという願望が強いとも言えるのでしょう。
自分自身に関しても、自分たちの商品に関しても、
負けたくないという意思から、新しい発想が生まれているのです。

これからの目標

通信は生活の中、いたるところで私達の生活を支えています。
とはいえ、実際に目につく様な目立つものはごくわずか。
皆さんが思いつくのも、スマホやパソコンが中心ではないでしょうか。
しかし自動販売機や駐車場のゲート等、何気ない所で通信は活躍しています。

通信の技術は、今後さらに進歩していく事は間違いないでしょう。
それと同時に革新的なサービスが出てくるのかもしれません。
その時、その後ろにいる存在であることを弊社は目指しています。
決して表に立って、目立っていこうという想いがあるわけではありません。
常に裏から支え、必要な存在となりたい。
そう考えているのです。

それに必要なのは、さらに簡単なサービスの提供でしょう。
今日、情報のやり取りが多くなった事で、通信が詰まってしまうといった事態が多いのです。
その為、技術は向上しながらも
「インターネット快適になったね」という言葉より
「この時間帯つながりにくいね」といった台詞の方をよく聞きます。
その解決をめざし、簡単な通信サービスを提供していきたいと考えています。

社会人は楽しい!

今、学生の皆さんが嬉しさや喜びを感じるキラキラとした瞬間。
これはまだ、親に守られた空間の中でのものであることが多いと思います。
社会に出たら、そこは全てが自己責任の世界。
その瞬間が得られるかどうかも、自分次第となってしまうのです。

しかし、自分の責任であるという事が起こすのは、
何も悪い作用だけではありません。
自分でつかみ取った分だけ、その嬉しさや喜びは大きいものとなり、
その一瞬が起こす感動は計り知れないものへと変わるのです。
ただし、それには自分からその喜びを掴みに行こうとする意識が必要なのも確かでしょう。
何かチャンスがあった時、自分から率先して飛び込んでいける、
そんな社会人になってほしいと願います。

大学全入の現在、かつての大学生と違い、入学という成功体験を多くの学生は得ていません。
その分社会に出てから得られる初めての大きな成功体験は、
より多くの感動を与えてくれるのだと私は考えています。

社会人はとんでもなく楽しいですよ!
これが私の本音です。

株式会社ユトルナ 代表取締役 宮内亮太

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代表取締役 宮内亮太

代表取締役 宮内亮太

設立 平成17年6月
事業内容
    • 水・コーヒー・茶その他飲料水、食料品、調味料の販売並びに輸出入
    • 清涼飲料水の製造
    • 浄水器、給水機、製氷機、厨房機器、自動販売機、家庭用電機機械器具の製造、販売、輸出入及び賃貸、リース並びに保守点検業務
    • 浄水設備、給水設備の設計施工並びに保守点検業務
会社HP http://www.yutoruna.com

始まりは音楽

私のルーツは音楽にあります。
現在の弊社と関係ない事に思えるかもしれませんが、
全てのスタートは高校時代のバンド活動から始まります。
高校で音楽に出会い、プロミュージシャンになる夢を持った私は、
卒業後、アメリカへ渡ることになります。
月並みに言われている事なのですが、
当然その道で食べていく事は難しい。
私もその例に漏れず、苦労していました。
転機はとある野外フェス。
アメリカで生活中、私が所属するバンドに町で行う音楽イベントへの誘いが来たのです。
それまでもライブハウスなどで活動してはいたのですが、
野外でのイベントはライブハウスとは違う苦労や楽しさを味わうことが出来ました。
集客から、役所関係の事といった、いわゆる裏方の仕事。
これを一から自分たちで作り上げる経験が出来たのです。
仲間やオーディエンスが楽しむのは勿論、他のバンドのメンバーも一緒になって楽しむ。
そこに、ただライブを行うことよりも、もっと大きな楽しさを見出してしまったのです。
このままプレイヤーとして進むより、
自分でイベントを起こせるライブハウスを作ろう。
そう考えた私は、日本に帰りイベント会社へ就職することを決めました。

日本の凄さ

就職したものの、会社の中で自分が希望していた事業へは配属されませんでした。
音楽イベントを希望するも、
私が配属されたのはファッションショーやヘアーショーを扱う部署でした。
英語が出来たという事もあり、
外国人と仕事をする機会もありました。
ある外国人のモデルから言われたことをよく覚えています。
「日本は円が高くていいね」
何気なく発された言葉。
しかし、日本とアメリカしか知らない私には、
その言葉がとても印象的でした。
この世界には豊かではない国がある。
言葉だけで知るのではなく、その地を実際に訪れたい。
想いは大きくなり、
私はアジアという知らない世界へ飛び出す決意をしたのです。
タイの奥地の村。
水もガスも電気も通らない所で、私は一つの発見をします。
その村には一台の車がありました。
それは日本のメーカーの車でした。
何もないへき地なのにも関わらず、自分の国のものがある。
そして、現地の人々が嬉しそうにその車について話してくれることが、
とても印象的だったのです。
日本って凄い。
それが私の発見でした。

代表を継ぐ

イベントについての基本を学び、世界を回り見聞を広めた私ですが、
ライブハウスを経営するために、
自身のスキルに足りないのは何か考える様になりました。
一つは店舗経営の知識。
いくらイベントが出来ても、店として成り立たなくてはいけません。
せっかく店を経営するのであれば、海外から色々な物を輸入して内装などこだわりたい。
その為には海外とやり取りするための貿易の知識が必要なことに気づきました。
私はその後、大手喫茶店チェーン、産業機械商社を経て、
知識・経験値を高めていきました。
しかし、人生何が起きるかわからないものです。
ある日、父が病気で倒れ、父が社長を務める会社を私が継ぐ事になったのです。
どの様な業務をしているのか、現在どの様な状況なのか、
それすらもわからない状況。
しかし、今まで留学から何からお世話になった分、親には恩返しをしたい。
ただひたすらがむしゃらに一生懸命仕事をこなし、
数年の歳月を経て、ようやく会社も軌道にのってきました。

業務内容

現在弊社が行っている業務の一つに
飲料サーバーの販売・保守・管理業があります。
紙コップを置いてボタンを押すとお茶やコーヒーが出てくる飲料サーバーを
高速道路のサービスエリアなどで見たことがあるのではないでしょうか。
サーバーの不具合を無くし、安定的に安らぎの時間を提供することが私達の仕事です。
また、ウォーターサーバーの販売・レンタル・保守・管理に特化した
ウォーターソリューション事業もしています。
従来のウォーターサーバーは、
プラスチックのガロンと呼ばれるボトルから水を使用することが一般的です。
それに対し、弊社が取り扱うマシンは直接マシンを水道につないで
マシンの中で浄水を行うことができるものになります。
この業務を行っていて強く感じるのは、日本における水の嗜好品化です。
世界で一番安全な水が簡単に手に入るこの国で、
その流れは必然だったのかもしれません。
しかし、途上国ではどうか。
アフリカや東南アジアには危険な水を飲まざるを得ない人々がたくさんいます。
この様な地でも私達は活動しています。

常識を変える

水は、その国の人々に大きな影響を与えています。
私達が東南アジアカンボジアで浄水器に関連する事業を行う時にぶつかった壁。
それは、現地の人々の常識でした。
現在、カンボジアやベトナムを流れる人々の水源でもあるメコン川には、
ベトナム戦争の名残が、未だに残っています。
枯葉剤の影響を受けたその水は、人体に確かな害を与えています。
私達が扱う機械であれば、それを取り除くことができる。
とはいえ、残念ながらその機械を導入するには、
どうしてもお金が必要となってしまいます。
その地の人々には、安心・安全な水=体に良いと言う概念がありませんでした。
更にはなぜきれいな水を飲むためだけに、お金を払わなくてはならないのか。
それが彼らの最初の認識でした。
このような経緯から、まずは意識を変えるために啓蒙活動が必要だ。
と感じました。
水が与える人体への影響、きれいな水の必要性を説き、
より安心・安全な飲料水を提供できるように努力しています。

世界へ飛び出す

今後、日本のマーケットでは、飲料産業の成長は難しくなると言われています。
飲料業界のみに限ったことではないのですが、
日本の産業の多くは成熟してしまった為、伸び率は著しく下がってしまいます。
そのためには、もっと世界に目を向けていく必要性を感じています。
今後の未来を考え、弊社が目をつけているのが、
先ほど挙げた国々を含むASEAN。
また、この世界に目を向けるという事は、皆さんにも是非実践してほしい事でもあります。
比較的時間の取れる学生のうちに、たくさんの世界へ訪れて欲しいと思っています。
それも一人で。
さらに出来るのであれば多くの新興国と呼ばれる国々へ。
今、皆さんが当たり前だと感じている事、それが当たり前でない世界。
そこに飛び出してほしいと私は感じています。
貧困を知らなければ本当の豊かさは知れません。
言葉の通じない場所で一人という経験が、本当の人の有難味を感じることができます。
普段の自分の世界とのギャップに身を置くことで、本物について考えることができます。
世界に飛び出すために語学力など必要ではありません。
少しの勇気です。
これから訪れる未来は
未だかつて日本人が経験したことがない世界になると思います。
そのような未来で必要なのは、
どの様な場所でも、時でも、その場に対応できる適応力。
これを身に付けるためにも、世界へ目を向けてほしいと思います。

株式会社E-vol 代表取締役 川口 ひびき

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代表取締役 川口 ひびき

代表取締役 川口 ひびき

設立 平成21年4月1日
事業内容
    • 美容総合商社(製造、販売、管理)
    • サロン運営(エステ、ネイル)
会社HP http://www.e-vol.biz/

20歳になるまでに起業すると決めていた

学生時代は、悪いことばっかりしていました(笑)。
学校で一番の悪ガキというくらいです。
ですが、勉強は比較的できた方で、クラスでも成績は常に上位だったんですよ。

会社設立の夢は小学生の頃から、ずっと追いかけていました。
どんなに悪さをしていても、社長になる夢は追いかけていたんですね。

将来、自分の子どもが生まれたり、教育者になったときに、
良いことも悪いことも経験していた方が教えられることが多いと思っていました。
自分の知らないことがあるというのは、損ですし、不利に思えて。

だから色々遊ぶのは、自分の中で17歳までって決めていました。
高校2年生になったときに学校を変わって、ここからは仕事に生きるんだと。
そこは単位制だったので、早々に卒業までの単位を取ってしまい、
学校に行かなくても済むような体制を整えました。

当時は大学で経営学を学ぼうと考えていたので、
予備校に行きながら、予備校の学費や起業資金を稼いでいました。
朝は学校に行って、ガソリンスタンドでバイトして、予備校に行って、
夜はスナックでバイトして。
ほとんど遊んでいなかったですよ。
意志は比較的強いほうだったようで、
なりたい自分のために、あっさり環境を変えられましたね。

20歳前には起業すると決めていたので、19歳で会社を設立しました。

覚悟がなければ起業しないほうがいい

最初は、とりあえず起業をしたいというタイプでした。
事前準備として起業資金300万円を貯めましたが、
実際に起業した後、自分の準備不足を感じることになります。

起業した後にすぐにお金になって食い繋いでいけるかわかりませんから、
それなりの金額は持っておいた方がいいですね。

私は起業してから、アルバイトも併用するというのは
一番NGなことだと思います。
ビジネスなので老若男女問わず、起業したら「社長」になるわけです。
社長がアルバイトしていたら、仕事相手に中途半端な印象を与えてしまいます。
収入源がなく、安定した収入を得られない状況なうちは、
必死に自社の為に動き、信頼と実績を積むのが優先かと思います。

アルバイトをしながら、半分保険を掛けたような仕事の姿勢を、見てる人は見ています。
必死に考えて動くからこそ、熱意が伝わって仕事に繋がると思います。
なので、その辺の覚悟がないならやらない方がいいです。

どんなビジョンかという具体性がなくても、準備するなら「覚悟」を。
何があってもこの会社と共に生き、死んでいく。
それくらいの覚悟が絶対に必要だと思います。

子供がいることはプラスに働く

子どもがいると、自分が一番ではなくなって、
命より大事なものと毎日一緒に過ごすわけです。
その子たちのために頑張るし、背負っているものも違ってくる。
子どもの将来、会社の将来、社員の将来、自分の将来のことを常に考えています。

休む暇なんかないですけど、毎日賑やかで楽しいですよ。
行動力、判断力が向上したと思うし、
切り替えがうまくなりました。
あらゆる面で要領が良くなるんじゃないかなと思います。

会社に居るときは仕事、家庭では子どものことだけを考えるようにしています。
子育てや家事をするスキルが仕事にも生きていますね。
どうすれば最大限に効率よくできるか、を考えるようになりますから。
 
両立はできます。
ただ、その方法を知っているかどうかの違いなのではないでしょうか。
自分で使える時間が長いと自由も利きますが、
スピード感が圧倒的に違ってくると思います。

子どもと仕事なら、状況によりますが基本的には仕事をとります。
心と体は一つしかないので、
どちらかがうまくいかないと、もう片方にも影響が出てしまいます。
仕事がうまくいかなくなると、子育てもうまくいかなくなる。

その為にも日頃から子どもの健康・栄養管理をしっかりして、
健康でいられる努力をしていますし、かなり気を使っています。

E-volで作れないものはない

E-volは通販事業や美容の商社としての役割を担い、
美容用品や美に関する売り先と買い先の中間を目指していきます。
いま、その間を担う会社が日本にはほとんどありませんので、
そこをE-volが確立して、中小企業より活性化させていきたいですね。

製造は国内外で行っており、小さなものから大きなものまで、
食品やコスメ、機器など、まず作れないものはありません。
何でも作れます。

販売においても、他にはない立ち位置を獲得しました。
テレビの通信販売では売上げレコードを何度も更新しています。

「売れる商品を作れる」という強みを持ち、
大手の家電量販店や雑貨屋まで販路を拡大しているところです。
販売店とメーカーの間で流通を増やしていくことも考えています。

大手は組織で上にあげていく決裁に時間がかかったり、
メーカーでは営業が苦手なところが多かったりします。
すると、いくら良い商品を作っても、買ってくれる売り手が見つけられないことがあるんですね。
その点を中小企業の発想の斬新さや、スピードなどで対抗していけたらと思います。

やりたいと思ったことは全てする

当社は非常に風通しの良い会社で、ルールに則りさえすれば、直接私に議論ができます。
スピード重視なので。
そのような環境で、プレゼン力や発言力、発想力、説得力など、
他の会社と比べて格段に身につくことが多いと思うんです。

現場で仕事している社員の声に敏感で、みんなで耳を傾けていますね。
「こういう風にしたらもっといいのに」
といった意見をどんどん発言できる。
そして、その通りにお店を変えていくチャンスがあります。

入社一年目で「店長をやりたい」と言う社員に対し、
「じゃあ、新しくお店作るからやってみなよ」と、任せた事例があります。
まずやらせてみるんです。
すると、いかに自分ができないか、ということがわかるので。

現在地とゴールを明確にして、最終的にどうなりたいのか。
段階を経て、必要なことを見つけてステップアップさせていくことで、
目標に向かってどんどん進んでいくのです。
そうすると、目標がつかみやすくなります。

上司、部下などは関係ありません。
ただし、ビジネスなので、現実的なことを言っていきます。
頑張っても成果が出なきゃダメなんです。
過程や功績の評価はありません。
これはビジネスであり、社会だからです。
厳しいですがそれができた人は、どんどん上に昇っていきますよ。

自分の強みで女性の意識を変えたい

「株式会社川(せん)」というもう一つの会社がありまして、
同じ従業員でやっているんですが、目指す事業形態が異なっています。
こちらでは、おもしろい発想の事業をどんどん展開していきたいんですね。

私は面白いことが大好きで、
想像力や斬新な発想・企画を強みに、それを行動にするのも得意です。

ちょうどいま、「YASEFUKU」というのを開発して販売し始めました。
着ているだけで痩せるという夢のような服なんですが、
これはサウナスーツをもとにした発想の転換とアイディアにより開発されました。

汗をかかないように縫製から改造し、汗をかかない程度に体温を上げるようにしました。
デザインも、デートにも仕事にも着て行けるような洋服のデザインに近づけたんです。
 
このように女性のワガママを叶えてあげたい。
いかに自分自身を綺麗に保つかは女性のキャリアに大きく影響してくると思いますので、
女性自身の意識改革をしていきたいですね。

わくわく事業のアイディアもたくさんあるので、
斬新な発想をどんどん形にしていきたいです。
今後のE-vol、川にご期待下さい。

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